新生活197週目 - 「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」 画像 救われたヤイロの娘は一言も発していない。一方出血の止まらない女は進み出て告白している。会堂長のヤイロも発言していない。これらお奇跡はなぜ起きて、どのような意味があったのだろうか。 タグ キリスト教 新生活197週目 - 「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」 の続きを見る
新生活196週目 - 「突風を静める」 画像 この一連の事件は、弟子たちの心には深く刻まれただろう。彼らには、その時、そこにいて見ることを使命として与えられていたのだと思う。そして、記録に残すことでずっと後になってその使命を果たすことができた。それで良いのである。振り返れば、ある種の恥ずかしい体験だが、だからだめだったということではない。しかしもし、船から降りて逃げてしまえば使命を果たせなかっただろうし、船から降りて逃げてしまえば死んでいたかも知れない。一瞬後のことは誰にもわからないが、御声に従うことから逃げないほうが良い。 タグ キリスト教 新生活196週目 - 「突風を静める」 の続きを見る
砧教会が新たな組織決定をした 教会員の良識に期待していたが、叶わなかった。将来のことはわからないが、私の愛した砧教会は今はもう存在しない。組織的に事実隠蔽する組織と堕ちてしまった。 タグ キリスト教 砧教会が新たな組織決定をした の続きを見る
新生活195週目 - 「成長する種」のたとえ~「からし種」のたとえ 画像 宗教は、夢のような理想世界の到来を語るが、現実は内面の変化に過ぎない。しかし、一人の人の内面の変化は周囲にも影響を与え、社会を変化させていく。 タグ キリスト教 新生活195週目 - 「成長する種」のたとえ~「からし種」のたとえ の続きを見る
新生活194週目 - 「ベルゼブル論争〜イエスの母、兄弟」 画像 愛は個に向かうもので、集団を対象にしたものではない。律法は集団を維持するために必要なもので、個を劣後させる。律法に詳しい人、あるいは権力、権威が与えられている人は愛のわざを裁こうとしてしまう誘惑にさらされる。善き行いは自分から出るのではなく聖霊の働きであることを自覚せよというメッセージと受け取っている。 タグ キリスト教 新生活194週目 - 「ベルゼブル論争〜イエスの母、兄弟」 の続きを見る
新生活193週目 - 「過越の食事をする」 画像 つきつめて考えれば、やはり聖餐式も祝祷も単なる儀式でしかなくそれ自身は空虚なものだ。ありがたがるのはナンセンスだと思う。一方で、儀式があること、それを繰り返すことは心の状態に大きな影響を与える。それを専制と隷従のために使うものは現れる。それを自分の心の安定に使おうとするなら、本当は心から信じていないことを認めることになる。それでも、信じる側に立つのか、それとも信じることを放棄するか、その判断は人間に任されているのである。 タグ キリスト教 新生活193週目 - 「過越の食事をする」 の続きを見る
新生活192週目 - 「弟子たちを派遣する」 画像 この箇所を読み直していて、「イエスが指示しておかれた山」は山上の垂訓の丘だったのではないかと妄想した。 タグ キリスト教 新生活192週目 - 「弟子たちを派遣する」 の続きを見る
砧教会正常化の道は遠い 画像 先週、公開書簡で役員会に以下の請願を提出したが、今日の金井美彦による役員会議事報告で、審議された報告すらなかったので、起立して説明を求めた。 タグ キリスト教 砧教会正常化の道は遠い の続きを見る