キリスト教

新生活38週目 - 「成長する種」のたとえ~「からし種」のたとえ
福音のヒント(1)で「ヨアキム・エレミアス(1900-1979)という聖書学者は、イエスのたとえ話は本来すべて「福音の弁明」であると考えました」とあったのが衝撃的だった。もちろん、一つの考え方に過ぎないが示唆に富む。
hagi 2021/06/13(日) - 09:10

2020年の6月7日は恐らく私にとっては一生忘れられない日だと思う

hagi2021/06/07(月) - 18:37 に投稿

昨年の6月7日は日曜日で、私が当時現住陪餐会員かつ役員を担っていた教会では、総会決議に反して会堂礼拝を再開した日だ。

私は、その事実を糾弾したことで居場所を失った。真実を追うことの難しさを思い知らされている。ついに一年経過したが、結局何も解決できていない。しかし、真実が明らかになるまで静かに待たなければいけないのだろう。とてもつらいことだ。ただ、公式に表明はしていなくても、事実を認める人は少しずつ増えている。私は、必ず真実が明らかになる日が来ると信じている。ただ、事実は分かっていても、その事実に至った原因、経緯はまだ全く分かっていない。

新生活37週目 - キリストの聖体
カトリック教会の教会暦では、三位一体主日の次の木曜日が聖体の祝日となる。私にとっては「聖体の祝日」なにそれ?という印象なのだが、イースターの前に最後の晩餐を考える時と、この時期に「取りなさい。これはわたしの体である。」という言葉を考えるのは位置づけが変わる。十字架の前から見るか、ペンテコステの後から見るかで見え方は変わる。もちろん、本質は変わらない。
hagi 2021/06/06(日) - 09:21
新生活36週目 - 三位一体の主日
ペンテコステは印象深いが、私は三位一体の主日を意識したことはない。「三位一体(wikipedia)」は公会議で定式化されたもので人間が考え出した概念だ。言わば、正統をめぐる論争の結果として得られた合意である。しかし、理解を文書化しただけでは力が無いのだ。しかし、ペンテコステを引用するまでもなく時として理解を超えて聖霊は働く。聖霊が働けば人の行動は変わる。
hagi 2021/05/30(日) - 09:14

新生活34週目 - 「天に上げられる」

hagi2021/05/16(日) - 10:23 に投稿
イエスは復活から40日目に昇天したとされているのだが、なぜずっとこの世に残らなかったのか、その日数にどのような意味があるのかは謎である。イエスの復活後40日間は物理的な身体を有していたとされているので、生きた人間だったようにも見えるし、扉が閉じられている部屋にいきなり現れたりするのでもはや生きた人間にはありえない特徴を有していたのかも知れない。超越的存在を待望し、従いたいという依存心を刺激する。ちょっと怖い気がするが、その時期のイエスをこの目で見たいと思う。実際どうだったのだろうか。生きているイエスとは何かを考えてみた。

新生活33週目 - 「続:イエスはまことのぶどうの木」

hagi2021/05/09(日) - 10:16 に投稿
今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「復活節第6主日 (2021/5/ 9 ヨハネ15章9-17節)」。先週の箇所の直後である。福音のヒントは「15章以下はおそらく後から拡大された部分でしょう」としている。私に聖書学の知識はないが、改めて読むとこんなシーンは無かったのではないかと思われてならない。とは言え「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という教えは素直に受け入れてよいだろう。

新生活31週目 - 「イエスは良い羊飼い」

hagi2021/04/25(日) - 10:02 に投稿
今の私は、ヨハネによる福音書に、イエスの人間臭をあまり感じさせない後から再整理した英雄伝的な傾向を感じている。生前から全部わかっていた感が強く出ていて、この箇所もどこか人間性が希薄な感じがする。生きているイエスは人間で一人の人間として使命に忠実に自分の命をかけて生きたのだと思っている。