新生活130週目 - 「生まれつきの盲人をいやす」 自分の「欠け」を認められなくなって共に歩もうとするものを排除すれば「今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る」という言葉に直面することになる。事実を無かったことにしても事実は無くならない。そして、罪が残る。 タグ キリスト教 新生活130週目 - 「生まれつきの盲人をいやす」 の続きを見る
新生活129週目 - 「イエスとサマリアの女」 集団的に排斥しあう関係にある人にものを頼むのは怖い。対等な関係に立つためには相手を信頼しなければいけない。リスクはあるが、奇跡は意外と簡単に起きる。 タグ キリスト教 新生活129週目 - 「イエスとサマリアの女」 の続きを見る
砧教会の会堂礼拝参加は連続3週目 3週目ともなると、だんだん萩原が来るのは日常として会員からは受け入れられ始め、朝の挨拶をいただけるようになった。こういう状態が長く続いたら、その向こうには何が待っているのだろうか。 タグ キリスト教 砧教会の会堂礼拝参加は連続3週目 の続きを見る
新生活128週目 - 「イエスの姿が変わる」 受難節2週目の福音朗読は山上の変貌。本当に何が起きたのかはわからないが、何かが起きた。当時の弟子たちと違い、私たちはその後何が起きたのかは知っている。だからこそこの箇所から学ぶことがあるのかも知れない。 タグ キリスト教 新生活128週目 - 「イエスの姿が変わる」 の続きを見る
新生活127週目 - 「誘惑を受ける」 「そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。」は、誘惑に負けずに乗り切れば、逆に様々な危険が押し寄せてくる。しかし、神は見捨てることはない。ということではないだろうか。 タグ キリスト教 新生活127週目 - 「誘惑を受ける」 の続きを見る
久しぶりに砧教会の会堂礼拝に参加した リアル会堂礼拝にはオンラインで得られない体験が確かにある。集まっているという感覚があり、共にいるという喜びはある。牧師と対立関係にあっても、自分に嘘をつくことはできないし、逆に自分の誠実性に自信を持っているので、堂々と出席した。場を緊張させるのは申し訳ないと思うが、真実をごまかすわけにはいかない。 タグ キリスト教 久しぶりに砧教会の会堂礼拝に参加した の続きを見る
新生活126週目 - 「復讐してはならない、敵を愛しなさい」 敵を愛せという教えは、それだけを取り出すと無理がある。ウクライナの人が今攻めてきているロシアの兵士を愛することは無理だ。しかし、捕虜を公平に扱うことはできる。自分が愛する人のために不正をしてはいけないし、自分が愛することのできない人だからといって不正な扱いをしてよいということはない。 タグ キリスト教 新生活126週目 - 「復讐してはならない、敵を愛しなさい」 の続きを見る
日本基督教団砧教会は公式な書簡を公開できない組織に堕ちてしまった 真実に向き合って事実を明らかにしてもらいたい。ただ、それだけを願う。その結果、自分の間違えが明らかになるとしても決着が付けられないよりはましだ。 タグ キリスト教 日本基督教団砧教会は公式な書簡を公開できない組織に堕ちてしまった の続きを見る
新生活125週目 - 「律法について、腹を立ててはならない、姦淫してはならない、離縁してはならない、誓ってはならない」 弟子たちは、イエスが「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。」と言ったと伝えたのだろう。それらの言葉が集められて文書化され、福音書はできた。うける話は繰り返され残っただろうし、うけない話は回数が減り消えていっただろう。その伝承の奥に何があったのかを多くの人が研究してきた。 タグ キリスト教 新生活125週目 - 「律法について、腹を立ててはならない、姦淫してはならない、離縁してはならない、誓ってはならない」 の続きを見るコメント数 1