キリスト教

新生活245週目 - 「弟子たちに現れる〜天に上げられる」

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Stained glass window showing the Ascension of Jesus, at Church of the Good Shepherd (Rosemont, Pennsylvania)
ある日復活のイエスが昇天したという事実はなかったのではないかと思う。復活のイエスは肉体を伴っていて弟子たちと再会した体験は恐らく真実だろう。しかし再会の体験は実際に会ったことのある人にしか機能しない。ペンテコステで霊的な働きにフェーズが変わる。じゃあ、肉体を伴った復活のイエスはどうなったのか?という問いに答える必要があるので昇天の記事が書かれたと考えることには一定の合理性があると思う。物理的な存在や事実だけに固執していても詮無いことだ。

新生活244週目 - 「イエスの祈り」

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Christ Retreats to the Mountain at Night (Jésus se retira la nuit sur la montagne) James Tissot
私はこの祈りが生前のイエスによって実際になされたとは思えない。しかしながら、生前のイエスが行ったことなのか、そうではないのかを気にする必要はないという考え方もある。意識的ではなかったが、私の場合それが受洗の原動力になったのだろうと思う。

新生活243週目 - 「新しい掟」

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Duccio di Buoninsegna: Maestà
栄光という言葉の原語はヨハネ伝で23回出てくるのに対して、マルコ伝では「中風の人をいやす」でしかでてこない。マタイ伝4回、ルカ伝9回と時系列とともに頻出化している言葉だ。言い換えれば、解釈補完が増加していった歴史がでていると考えることもできる。

新生活242週目 - 「ユダヤ人、イエスを拒絶する」

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Robert Prevost 2012 alternative
「イエスを拒絶する」保守派は自分が考える枠に外れるインフルエンサーを徹底的に弾圧する。枠にはまっていても権力への脅威は許さない。教皇というソフトパワーはイエスと同じくパラダイム・シフトの原点となる可能性を秘めている。

新生活239週目 - 「復活する」

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Hans Memling: The Resurrection
クリスマスとイースターの世の中でのうけは圧倒的にクリスマス優位である。誕生はめでたいイベントとして受け入れやすいが、復活は磔刑に引き続くイベントだから直感的にめでたさは感じられない。ただ、意味を噛み締めてみると、はるかにめでたいイベントである。殺されても終わらなかったからだ。

新生活238週目 - 「ピラトから尋問される〜イエスの死」

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Diego Velázquez: Christ Crucified
「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです」はとても印象的だ。恐らく史実ではない可能性が高いが、私は、この箇所がEUの死刑廃止(禁止)を導いたのだと考えている。

新生活237週目 - 「わたしもあなたを罪に定めない」

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Pieter Brueghel the Elder: Christ and the Woman Taken in Adultery
恐らく「後の時代の人が本来のヨハネ福音書に書き加えた箇所」という聖書学者の主張は正しいだろう。その上で、イエスの行動指針の解釈としては強い納得感があり共感を誘う。聖書の読み方について考えさせられる箇所だと考えている。