キリスト教

新生活186週目 - 「弟子たちに現れる」

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Jesus Appears to Eleven of the Disciples
自分に働きかけるイエスが本物かどうかは、聖書に当たる他無いし、聖書のテキストにも相互矛盾があって安易に信じることはできない。その上で、多数の先達が福音を述べ伝えてきて今もキリスト教は生き残っている。とても不思議なことだ。

神の約束とヤコブの旅

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William Blake: Jacob's Ladder
創世記は面白い。自由学園高等科の修養会で皆で読み切ったのを思い出す。心躍る強さの物語だ。しかし、どう考えても作られた物語で意図的な操作が入っている。操作が入っているのには理由があり、それを念頭において読まないと選民思想の罠に堕ちてしまう。選民思想の呪縛からの開放が自由の源泉となる。しかし、自由を求めることへの誇りが新たな選民思想の罠となるから世の中はままならないと思うのである。

新生活185週目 - 「イエス、弟子たちに現れる」

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The Appearance of Christ at the Cenacle (Apparition du Christ au cénacle)
今週は、渡米を予定しているのでTissotの絵を見にブルックリン美術館に寄ろうと思ってちょっと知らべてみたら、かつてイベントで展示していただけで、現在展示されているものは無いようだ。それでも、時間が許せば寄ってみようかと思っている。

新生活182週目 - 「ギリシア人、イエスに会いに来る~人の子は上げられる」

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Early Christian Catacomb painting
共観福音書は基本的に同時代の人間から見た史実の記述であるのに対し、ヨハネ伝は意味から再編集した(教会運営に資する形で改ざんされた)正史のようなものだと考えて良いと思う。ある正統を主張する派閥の解釈として読めば良い。

新生活181週目 - 「イエスとニコデモ(後半)」

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Henry Ossawa Tanner: Nicodemus
ヨハネ伝だけに出てくるニコデモという話は、ここだけでなく3箇所全部を読んで像を結ぶようになる。実在の人物かはわからない。私はどちらかといえば懐疑的だが、ニコデモのような人は存在しただろう。ヨハネ伝は理性の外側にあることを理性的に書けると思わせるような危うさがあり、最近はどうも素直に受け取ることができないでいる。

新生活180週目 - 「神殿から商人を追い出す~イエスは人間の心を知っておられる」

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El Greco: Christ Driving the Money Changers from the Temple
体制、立場はしばしば人を誤らせる。勝手に神殿の境内で商売できるわけがなく、誰かが許可を出していたはずだ。その商売で動く金が神殿の維持に使われていただろう。同時に、神殿に関わるものの原資にもなっていただろう。体制が守られなければ生活水準は維持できない。本来あるべき姿に気づくことは易しくないが、中には沼から出られた人もいるだろう。スーパースターに従う人も実は沼にいるだけなのに気づけたほうが良い。

新生活179週目 - 「イエスの姿が変わる」

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The Franciscan Church of the Transfiguration on Mount Tabor in Israel
カトリックは様々な文書が整備、制定されていて信者を増やしカルト化を防ぐ努力が蓄積されている。過去の過ちの修正の歴史とも言えるだろう。信仰と理性は両立させなければいけない。個人的には秘跡として理性の領域から外していくことに抵抗はあるが、理性だけでは自分の倫理観も確立できない。