新生活157週目 - 『「ぶどう園の労働者」のたとえ』 新共同訳では「天の国は次のようにたとえられる。」と切っているが、英語聖書を見ると、「天の国は〜の主人のようなものである」と訳している。日本語だと天の国は場所で、その支配者が神と想像するが、英語だと場所というよりその働きに焦点があたっているように読める。 タグ キリスト教 新生活157週目 - 『「ぶどう園の労働者」のたとえ』 の続きを見る
新生活154週目 - 「イエス、死と復活を予告する」 ペトロは糾弾されて困惑しただろうが、多分良い働きをしたのだと思う。 タグ キリスト教 新生活154週目 - 「イエス、死と復活を予告する」 の続きを見る
新生活153週目 - 「ペトロ、信仰を言い表す」 改めて天の国の鍵とは何かを考えると、それは今生きているこの時代とこの場所で自由と人権の確立する行動への勇気ではないかと思うのである。専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努め続ける勇気と言い換えても良い。権力への反抗は本質的に避けられないものだと思う。 タグ キリスト教 新生活153週目 - 「ペトロ、信仰を言い表す」 の続きを見る
新生活152週目 - 「カナンの女の信仰」 異邦人が救われる話に意外性はないが、改めて読み直せば自分を含めて誰もが日々排除の罪を犯し続けていることに気がつく。ミケランジェロの絵の弟子の困惑した表情は秀逸だと思う。 タグ キリスト教 新生活152週目 - 「カナンの女の信仰」 の続きを見る
新生活151週目 - 「湖の上を歩く」 私はペトロが降りて水の上を歩き沈みかけたという記述が好きだ。一歩を踏み出す勇気は称賛に値する。 タグ キリスト教 新生活151週目 - 「湖の上を歩く」 の続きを見る
砧教会の聖書箇所はラザロの復活だった 砧教会の戦時は続いている。金井美彦氏はその事実に1mmも触れなかったが、佐分利正彦氏に私への配餐を指示した。彼の今の祝祷は私には呪いだ。悔い改めて真実に向かい合っていただきたい。 タグ キリスト教 砧教会の聖書箇所はラザロの復活だった の続きを見る