キリスト教

死後の世界

死後の世界の存在は証明できない。しかし、一生、死んだらどうなるのだろうという想像をしたことの無い人は恐らく皆無だろう。

死後の世界の存在は、信仰の問題でもある。どこかで死後の世界はあるんじゃないかと思えば、天国を保証する宗教にすがりたくなるのも分かる。私はキリスト教徒であるが、キリスト教には、かつて免罪符、あるいは贖宥状で、天国を金で買えると扇動した歴史がある。

お布施を積んでも、賽銭をはずんでも、多額の献金を支払っても、あるいは国か信仰のために命をささげても、そんな行為で天国にいける道理が無い。死後の世界との間には断絶があるのだから、この世の価値観がそのまま通用する訳が無い。死を美化してはいけない。

hagi 2019/10/14(月) - 21:36
第二次世界大戦の反省で世界聖餐日が生まれた

今日10月の第一日曜日はキリスト教の世界では世界聖餐日である。

『世界聖餐日を覚えて』という記事で「世界聖餐日は、1946 年に、WCC の前身である世界基督教連合会の呼びかけによって始められました。第二次世界大戦の深い傷跡の後、世界中の教会が聖餐を通してキリストにある交わりを確かめ、全教会の一致を求めて制定されました。」とある。

ググるまで気が付かなかったが、そう言えば、前に聞いたことがあったような気もするが、全然意識していなかった。

hagi 2019/10/06(日) - 14:18
パトモス島

パトモス島はトルコの傍にあるギリシャの島。新約聖書最後の書物「ヨハネの黙示録」はそこで書かれたとされている。作者はその島に幽閉されていたらしい。

所属教会の聖書研究会がしばらく「ヨハネの黙示録」に取り組むことになったので少し調べて見た。

hagi 2019/09/23(月) - 15:17

アニメーションの力

hagi2019/09/15(日) - 19:06 に投稿

今日、教会のトークカフェで「アニメの力 - 生きる勇気の源泉」という講演を聞き、いろいろと考えた。

アニメ版の「この世界の片隅で」は見ていないが、呉にいた人の広島原爆の表現がすごいらしい。

原爆は一大事である。しかし、今を生きている私達は、その事件に隣接した人の体験をその通りに感じることはできない。映画やドキュメンタリーで追うこともできるが、確かに優れたアニメーションによる追体験は別格の力がある。京アニや他のプレーヤーによる様々な表現の解説を聞き、良くも悪くも心が動かされるということは追体験あるいは仮想体験の力の強さなのだろうと感じた。また、商業的に成り立つ短時間のフォーマットに編集する技術が高いので本来なら長時間の体験なしに理解できないはずのことが短時間で体験できるのが利点でもある。

講師は、ルカによる福音書を本気でアニメーションクリエーターが取り組んだらすごいものができるだろうとコメントしていた。

アニメーション作品がもたらす感動が平和を生むものであって欲しいと願う。

文章に内在する訴求力は書いた人の思いが宿ると思う

hagi2019/06/21(金) - 23:24 に投稿

天が下の萬の事には期あり 萬の事務には時あり
生るに時あり死るに時あり 植るに時あり植たる者を抜に時あり
殺すに時あり醫すに時あり 毀つに時あり建るに時あり
泣に時あり笑ふに時あり 悲むに時あり躍るに時あり
石を擲つに時あり石を斂むるに時あり 懐くに時あり懐くことをせざるに時あり
得に時あり失ふに時あり 保つに時あり棄るに時あり
裂に時あり縫に時あり 黙すに時あり語るに時あり
愛しむに時あり惡むに時あり 戦ふに時あり和ぐに時あり
働く者はその勞して爲ところよりして何の益を得んや

何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時
石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時/保つ時、放つ時
裂く時、縫う時/黙する時、語る時
愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。

アメリカの中絶問題に感じる民主主義の限界

hagi2019/06/18(火) - 16:53 に投稿

アメリカではキリスト教保守派(むしろ原理主義)が猛威をふるっており、ハートビート法といわれる中絶禁止法が複数州で成立した。

心臓が鼓動を打ったら、それ以降は中絶は殺人という考え方で、堕胎術を行った医師は99年の刑に問われる可能性がある。レイプされて妊娠しても妊娠した女性に選択肢を認めないわけだから、悲惨な思いをする事になる人もいるだろう。

Pro-Life、Pro-Choiceというキーワードにすると、生命優先主義、親の選択権優先主義という単純化がなされる。原理主義的には中絶は殺人で、さらには避妊すら許さないという考えに立つ人もいる。Pro-Choiceの人の中にもキリスト教の信者は少なからずいて、宗教に関わらず殺人はいけないことだとほぼ全員が考えていると言って良いだろう。ハートビートから生きた人間と考えようよと言われたら、異議は表明しにくい。

一方で、望まない妊娠をした人にとっては、中絶の違法化は自分の人生の選択肢を奪う。結局、間接的にその人の命を奪うことになるかもしれない。

原理主義は、意見を集約しやすいのだ。その上、内側と外側を区別して、外側にいる人を人間として見ることすら難しくさせる。宗教の持つ悪魔性だ。本当は内側に留まれるのは単に運が良いだけだし、そもそも内側という概念そのものが幻想だろう。

幸せとは何だろう

hagi2019/06/16(日) - 21:54 に投稿

今日、私は礼拝の司会を担当した。

説教が始まって、妙齢の女性の具合が悪くなった。支えられて休憩室に向かったが、倒れてしまった。新しい方に救急車を呼んでいただき、家族の方に連絡をして救急車に共に乗っていただいた。

礼拝の担当として、牧師に説教の再開を止めて、待ちましょうと言った。それが正しい事だったかは分からない。しかし、会衆は待ってくださった。

振り返って、その女性はどうしても礼拝に来たかったのだと思う。

私はそれは素晴らしく幸せな事だと思う。命をかけていきたいと思う場所があるという事は本当に幸せな事だと思う。

またきっと来て下さるだろう。

書評:深井智朗著「プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで」中公新書2017年4月15日再版版

hagi2019/05/11(土) - 16:04 に投稿

書評:深井智朗著「プロテスタンティズム 宗教改革から現代政治まで」中公新書2017年4月15日再版版

2018年5月28日萩原高行

砧教会のホームページの作成に関わった

hagi2019/03/25(月) - 08:47 に投稿

昨日、砧教会がホームページをリリースした。

4月になると、キリスト教主義の学校の新入生が教会学校に来る。保護者の人がどのような教会なのかを知ってもらえるようにすることを念頭において構成を検討した。とにかく、さっさと公開することを優先したので、まだまだこれからページを足していく予定だけれど、最低限の情報を掲載して公開した。

私は、砧教会(教会学校)に通い始めてから約50年、途中欠席だらけの時期もあったりしたが、2,000回以上は足を運んでいると思う。教会学校時代からずっと内側にいるわけで、外から教会がどう見えるのかという客観的な視点はなかなか持つことができない。個人的には、研究色の強い教会だと思っている。時に、礼拝の説教が大学の講義のようだと言われる。毎週のように、礼拝説教で、この聖書の箇所にはこういう読み方があるのかと驚きと気づきの機会を与えらている。心地よい救いのメッセージというよりは、進むべき道をそれぞれが探す時間のように感じられる。