わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない(マタ12:7) 訳を検討することで得られることは少なくない。この憐れみという言葉はホセア書の新共同訳では愛という言葉になっていて、その言葉は英語では新約でmercy, compassion、旧約でmercy, loyaltyと訳されている。とても興味深い タグ キリスト教 わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない(マタ12:7) の続きを見る
新生活258週目 - 「客と招待する者への教訓」 画像 謙虚な有力者をイメージするのは難しい。神を最高権力者とする宗教は神の裁きが待つ。教訓として「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」はわかりやすいが、本当にイエスはこの通りの発言をしたのだろうか。 タグ キリスト教 新生活258週目 - 「客と招待する者への教訓」 の続きを見る
新生活257週目 - 「狭い戸口」 画像 実は広き門から入っても、そこここに狭き門が存在していて、途中から入れるケースはあるのではないかと思っている。必ずしも苦行が必要な訳では無い気がするが、必要なら苦行が与えられることもあるだろう。 タグ キリスト教 新生活257週目 - 「狭い戸口」 の続きを見る
新生活256週目 - 「分裂をもたらす」 画像 地上に火を投ずるというのは、ちがうことはちがうという声が広がっているという状況を意味するかもしれない。現代は王国(専制君主)の乱立時期に比べれば遥かにマシになっている。紆余曲折を経ながらも御国は近づいていると私は考えている。 タグ キリスト教 新生活256週目 - 「分裂をもたらす」 の続きを見る
新生活255週目 - 「(天に宝を積みなさい)〜目を覚ましている僕」 画像 「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」は真実だと思う。地上に富を蓄えれば心はそこに引きずられる。蓄えはないと危ういが、あればあったで危うい。 タグ キリスト教 新生活255週目 - 「(天に宝を積みなさい)〜目を覚ましている僕」 の続きを見る
新生活254週目 - 「愚かな金持ち」のたとえ 画像 福音のヒント(1)に「イエスの言葉の内容についてはほとんど何も説明する必要がないでしょう。できるだけ素直にイエスの語りかけを、問いかけを、呼びかけを聞けばよいのです。」と書かれているのに共感する。 タグ キリスト教 新生活254週目 - 「愚かな金持ち」のたとえ の続きを見る
わたしにつまずかない人は幸いである イエスは起きている事実を評価せよと言い、自分の正義にとらわれないようにせよ(わたしにつまずかない人は幸いである)と言ったという箇所の説教に普段とは異なる気づきがあったのでメモ タグ キリスト教 わたしにつまずかない人は幸いである の続きを見る
新生活253週目 - 「祈るときには」 画像 善いことは必ずできると信じてよいのだ。たとえその道程が遠く、自分が生きている間に実現できなかったとしても、だ。 タグ キリスト教 新生活253週目 - 「祈るときには」 の続きを見る