新生活217週目 - 「人の子が来る〜いちじくの木の教え〜目を覚ましていなさい」 画像 「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」という言葉のインパクトは大きい。イエスすら知らないという表明である。弟子たちはわりとすぐ来ると考えていて、当初はかなり短期的な視野に立っていたのではないかと想像する。終わりはいつ来るかわならないという言葉は重い。 タグ キリスト教 新生活217週目 - 「人の子が来る〜いちじくの木の教え〜目を覚ましていなさい」 の続きを見る
新生活216週目 - 「律法学者を非難する〜やもめの献金」 画像 前半と後半は違う話のようにも思えるが、献金という行為と、献金の使い道に関わる人の関係を描いていると考えることもできる。多くの人は税金を納める側にいるわけだが、税金を使う側にいる人達には十分に注意を払わなければいけない。教会であれば、牧師や役員は(保身のために)会員を虐げるようなことをしてはいけないのである。当たり前のことだが簡単には守れない。 タグ キリスト教 新生活216週目 - 「律法学者を非難する〜やもめの献金」 の続きを見る
新生活215週目 - 「最も重要な掟」 画像 本質的には第一の掟だけで十分なのだと思う。しかし、解釈が割れるので、第二の掟を明示しないと、ナショナリズムの餌食になってしまう。ネタニヤフは第二の掟を大事にしない。その道は再びディアスポラの時代を招く可能性が高いと思う。 タグ キリスト教 新生活215週目 - 「最も重要な掟」 の続きを見る
新生活214週目 - 「盲人バルティマイをいやす」 画像 私は福音のヒントの「もしかしたら、バルティマイは、マルコのいた教会の中で知られていた人物だったのではないでしょうか」という仮説が事実だったら良いなと思う。 タグ キリスト教 新生活214週目 - 「盲人バルティマイをいやす」 の続きを見る
新生活213週目 - 「ヤコブとヨハネの願い」 画像 改めて読むと「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない」は、受洗時の私に向けられた言葉と取ることもできる。分かっていない信仰告白も受け入れられるが、重い責任が伴うことも覚悟しなければいけない。重い責任を伴うことを理解できたときに、あの時信仰告白できて良かったと思えれば幸せなことだ。 タグ キリスト教 新生活213週目 - 「ヤコブとヨハネの願い」 の続きを見る
新生活212週目 - 「金持ちの男」 画像 「金持ちの男」は、この絵画のようにきらびやかな装いだったのだろうか。豊かな暮らしを経験してしなうと、自分が誰とも同じただ一人の人間に過ぎないことを自覚するのは難しくなる。凋落期の自覚は恵みと言っても過言ではないと思う。力が失われ続けても、やれることはなくなりはしない。善く生きることは誰にでもできる。 タグ キリスト教 新生活212週目 - 「金持ちの男」 の続きを見る
新生活211週目 - 「離縁について教える~子供を祝福する」 画像 子供は弱い存在で、何らかの保護がなければ生きていくこと自身が難しい。死別も離婚もなく平和な家庭で愛を注がれるのが望ましいが、それだけを原則とするような制度設計は現実的ではない。 タグ キリスト教 新生活211週目 - 「離縁について教える~子供を祝福する」 の続きを見る