今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「年間第17主日 (2025/7/27 ルカ11章1-13節)」。福音のヒント(1)にあるようにマタイ伝6章に並行箇所があるが、マルコ伝では主の祈りの記述はない。パウロ書簡にも出てこないのは不思議に思う。3年前の記事がある。比較的長い記述で、今読み返しても意見に特に変化はない。
福音朗読 ルカ11・1-13
1イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。2そこで、イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。
『父よ、
御名が崇められますように。
御国が来ますように。
3わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
4わたしたちの罪を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。
わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
5また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。6旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』7すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』8しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。9そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。10だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。11あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。12また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。13このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」
あらためて1節から4節を読むとお願いしているのは、「ご飯をください」と「罪を赦してください」と「誘惑にあわせないでください」の3点とシンプルだ。貧すれば鈍するという言葉があるが、追い詰められると誘惑に負けやすくなる。危険を感じられない状況であれば、落ち着いて考えることができるが、状況が悪ければ今をどう乗り切るかということに集中せざるを得なくなる。ちょっとした気の迷いから、犯罪の連鎖に巻き込まれてしまうことさえある。貧乏だけでなく、ちょっとした油断で道を踏み外してしまうリスクは誰にでもある。牧師だって堕落する。恐ろしいことだ。
起業してどんどん蓄えが減っていた時期は不安だった。65歳になって年金が出るようになると、病気や災害などがなければ生きていくことはできそうになると気持ちは落ち着く。自分がやりたいことをやるために働くという贅沢な状況と言える。善いことだけをやって生きていきたいという思いがある。
しかし、ちょっと考えてみればそれは幻想に過ぎない。たまたま良い時期に良い環境に恵まれてこれまでを過ごせていただけで運が良かっただけだ。今のガザやウクライナにいたら「善いことだけをやって生きていきたい」などと言えないだろう。「善いことだけをやって生きていきたい」と考えることがいけないとは思わないが、現状が単なる幸運に過ぎないことを忘れてはいけないと思う。
もし、選択肢のある幸運に恵まれたなら、「御国が来ますように」の実現に注力すべきだと思っている。
運に恵まれない人はいるし、人生には良い時期も悪い時期もある。「御国が来ますように」は誰ひとり取り残すことのない世界の実現だと私は考えている。やらなければいけないことは山のようにあり、一人ひとりの力は小さい。一人ひとりやれることは違うし、その置かれている時間と場所でやれることが見つからないこともあるだろう。
幸運を与えてくださいという願いの祈りは何の問題もない。もし、それなりに恵まれたら、その恵みに感謝してやれることをやるのが筋ということだろう。
5節以降の話は、自分がやるべきことがわかっていたら、許容可能な迷惑に躊躇するなと読むことができる。旅行中の友人は飢えているのかもしれない。自分で解決できない場合は、隣人に頼っても乗り越えるべきと読んでよいだろう。もちろん、やるべきと思われることが、できることばかりではない。「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」は福音である。福音のヒント(5)で聖霊についての解説があるが、私は気がつけていない真理に接することができる何か、という風に解釈している。
善いことは必ずできると信じてよいのだ。たとえその道程が遠く、自分が生きている間に実現できなかったとしても、だ。
※画像は、英語版Wikipediaの主の祈り経由でたどり着いたブルガリアの文書。今日は触れないが、このWikipediaのAnalysisの部分で7つの請願について記載されている。請願5と6の記述が長いのが興味深い。