キリスト教

新生活272週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」

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Raphael: Prophet Isaiah
「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。」という感動的な洗礼者ヨハネの言葉はNIVでは‘Prepare the way for the Lord, make straight paths for him.’と訳されている。私には、主の道とthe way for the Lordは意味が違う。英訳後半は「主に至る真っ直ぐな道を建設せよ」ととれるが、これも「その道筋をまっすぐにせよ」とは印象が大きく違う。ヨハネは道の建設の準備を担ったが、道の引き方を知っていた、建設を委託されたのは人間イエスだったということだろう。そして、人間のままでは完成させられないのは自明なことと言える

新生活268週目 - 「ラテラン教会の献堂」の祝日

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El Greco: Christ Driving the Money Changers from the Temple
324年にコンスタンティヌス1世によってローマ・カトリック最初の総本山となったラテラノ教会はローマ、バチカンから東南東6km程度にある。コンスタンティヌス1世は330年にコンスタンチノープルを東ローマの行政首都として開発した。約1000年後に荒廃した教会の起点を記念することにどのような意味を見出せばよいのだろうか

新生活267週目 - 死者の日

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教会暦と聖書朗読2025 付録Ⅲの見出し
Wikipediaには「死者の日(ししゃのひ)または万霊節(ばんれいせつ、All Souls’ Day)は、キリスト教で全ての死者の魂のために祈りを捧げる日である。ローマ・カトリック教会では正式には「The Commemoration of All the Faithful Departed」(信仰を持って逝った人全ての記念日)と呼ぶ。11月は「死者の月」とされる。」とある

新生活266週目 - 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ

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Gustave Dore - The Pharisee and the publican.
改めて福音朗読を読むと「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」は私のことだなあと思う。もちろん、それではいけないと思っているが、気がつけていないことは多い。

新生活265週目 - 「やもめと裁判官」のたとえ

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The Unjust Judge and the Importunate Widow (The Parables of Our Lord and Saviour Jesus Christ)
この箇所の解釈として、やもめのような弱いものがしつこく公正な社会の実現を求め続けることによって、社会は進化するのだ、加えて、神はその時点でのマイノリティーである「選ばれた人たち」の祈りを聞いていて、必要な精霊の働きを下すのだ、とイエスが言ったと考えてもよいだろう。