キリスト教

新生活222週目 - 「マリア、エリサベトを訪ねる」

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Visitation
エリサベトはルカ伝にしか登場しない人物。神殿奉献が事実だったとすれば、マリアとの関係は夫であり大祭司でもあったザカリアが神殿奉献された3歳のマリアを受け入れた時から始まっていたはずだ。だとすると彼女は実質的な養母で、実の娘のように愛情を注いでいたのではないかと思う。

新生活221週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる(中盤)」

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The supposed location where John baptized Jesus Christ East of the River Jordan.
一世代から二世代上の方は敗戦の記憶があり、社会体制は大展開した。邪悪な日本兵が平和を希求する存在に変わったとも言える。実際に兵役を経験して、これはやっぱり違うものだと感じた人は多かっただろう。しかし、一度入ってしまえば権力構造に従うしか道はない。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言ったと書かれている。その声が日本兵に届いたとしても周囲の目もあるから、それすら守る自由はなかっただろう。人に対して悪を行わないようにせよという教えを超えて、人を愛せという教えでイエスはこの世界を変えた。

新生活219週目 - 「人の子が来る〜目を覚ましていなさい」

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タリンのクリスマスマーケット2024
楽観的かも知れないが、「残された時間を大事にしなければいけないと思う」ということは、福音のヒント(4)で述べられている「目を覚ましていることとは祈ることだ」とある意味で同じなのではないかと思う。

新生活217週目 - 「人の子が来る〜いちじくの木の教え〜目を覚ましていなさい」

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夜に主人を待つ使用人のたとえ
「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」という言葉のインパクトは大きい。イエスすら知らないという表明である。弟子たちはわりとすぐ来ると考えていて、当初はかなり短期的な視野に立っていたのではないかと想像する。終わりはいつ来るかわならないという言葉は重い。

新生活216週目 - 「律法学者を非難する〜やもめの献金」

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Woe unto You, Scribes and Pharisees
前半と後半は違う話のようにも思えるが、献金という行為と、献金の使い道に関わる人の関係を描いていると考えることもできる。多くの人は税金を納める側にいるわけだが、税金を使う側にいる人達には十分に注意を払わなければいけない。教会であれば、牧師や役員は(保身のために)会員を虐げるようなことをしてはいけないのである。当たり前のことだが簡単には守れない。

新生活215週目 - 「最も重要な掟」

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Thou shalt love the Lord thy God
本質的には第一の掟だけで十分なのだと思う。しかし、解釈が割れるので、第二の掟を明示しないと、ナショナリズムの餌食になってしまう。ネタニヤフは第二の掟を大事にしない。その道は再びディアスポラの時代を招く可能性が高いと思う。