イザヤ書は紀元前8世紀の預言者に関わる書物で、バビロン捕囚は紀元前7世紀。
1 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ/砂漠よ、喜び、花を咲かせよ/野ばらの花を一面に咲かせよ。2 花を咲かせ/大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ/カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。3 弱った手に力を込め/よろめく膝を強くせよ。4 心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」5 そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。6 そのとき/歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。荒れ野に水が湧きいで/荒れ地に川が流れる。7 熱した砂地は湖となり/乾いた地は水の湧くところとなる。山犬がうずくまるところは/葦やパピルスの茂るところとなる。8 そこに大路が敷かれる。その道は聖なる道と呼ばれ/汚れた者がその道を通ることはない。主御自身がその民に先立って歩まれ/愚か者がそこに迷い入ることはない。9 そこに、獅子はおらず/獣が上って来て襲いかかることもない。解き放たれた人々がそこを進み10 主に贖われた人々は帰って来る。とこしえの喜びを先頭に立てて/喜び歌いつつシオンに帰り着く。喜びと楽しみが彼らを迎え/嘆きと悲しみは逃げ去る。
「喜び歌いつつシオンに帰り着く」はバビロン捕囚の終焉を想起させるが、イザヤ書の時代の後のことだ。予言として強烈な印象を与える。ポイントはシオンをどう考えるかで、シオニストはそれをイスラエルの地と捉え、選民であるイスラエル人がエルサレムを首都とする世界帝国を確立して全世界を支配するのが神の意思であると考えているのだろう。現実には、そういう排他的愛国心で扇動して権力者が己の権力基盤を維持しようとして多くの犠牲者を出す繰り返し置きている悪夢の再現に過ぎない。やがて破綻するのは明らかだが、ネタニヤフだけでなく、独裁を指向するプーチンやトランプあるいは習近平にとっては好都合だ。残念ながらそういう時代なのだろう。日本でも安倍の台頭という危うさはあったし、その後遺症と今も戦い続けなければいけない状況にある。ハメネイ師(アリー・ハーメネイー)も、その一人で、同じ穴の狢と見てよいだろう。トランプの発言「イスラエルは優勢で、イランは劣勢だ」は力が道理を超えるという独裁者の思考そのものだ。しかし、実際には彼らは自分の保身が最優先である。極めて醜い。
シオニズムはユダヤ教の主流を占める考え方ではないが、イラン攻撃はイスラエルの民の多数の支持を得ている。危機を演出すれば愛国心が刺激され、冷静な思考を失わせてしまうのは戦前、戦中の日本と変わらない。まさに終わりの始まりである。
引用したWikipediaのシオニズムはとても興味深い。衆知を集めるキーワードとして扇動家に使われてきたことがよく分かるから、一読をお奨めする。
イザヤ書53章のシオンとは何か。復活しパウロに現れたイエスは、それをエルサレムという地と同一視はしていないと思う。シオンは愛のあふれる社会を意味すると考えたい。