キリスト教

新生活190週目 - 「弟子たちを派遣する〜天に上げられる」

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John Singleton Copley: The Ascension
絵画は、もしその時代にそこにいたらこんな景色を見られたかも知れないというイメージを与えてくれる。同時に、理性的に考えればありえないのは明らかだ。一方、そのありえないことを告白した人に理性を超える体験はあっただろう。個々人としては、信じることにしたがって、良いと思うことを誠実に成していく以外の道はない。

新生活189週目 - 「続:イエスはまことのぶどうの木」

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Trump supporters in front of the Capitol
「わたしがあなたがたを任命した」は権威付けの意味をもつ。ペトロは、外国人からもそれが真実だと信じられたら嬉しかっただろう。ますますきちんとしなければならないと思ったはずだ。ただ、序列化、権威化は進んでしまい、それが人に結びついていく。ヨハネ伝の記述には分断の種も仕込まれていると感じる

新生活188週目 - 「イエスはまことのぶどうの木」

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Leos Moskos: Christ the Vine
「わたしにつながっていなさい」というワードでGoogle検索すると、説教記事が無数に出てくる。とても印象的だが、恐らく史実に基づく伝承ではなく、ヨハネ伝編集者の創作だろう。イエスはこのような意味の発言を行ったかも知れないが、教団強化の視点が透けて見える。

新生活186週目 - 「弟子たちに現れる」

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Jesus Appears to Eleven of the Disciples
自分に働きかけるイエスが本物かどうかは、聖書に当たる他無いし、聖書のテキストにも相互矛盾があって安易に信じることはできない。その上で、多数の先達が福音を述べ伝えてきて今もキリスト教は生き残っている。とても不思議なことだ。

神の約束とヤコブの旅

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William Blake: Jacob's Ladder
創世記は面白い。自由学園高等科の修養会で皆で読み切ったのを思い出す。心躍る強さの物語だ。しかし、どう考えても作られた物語で意図的な操作が入っている。操作が入っているのには理由があり、それを念頭において読まないと選民思想の罠に堕ちてしまう。選民思想の呪縛からの開放が自由の源泉となる。しかし、自由を求めることへの誇りが新たな選民思想の罠となるから世の中はままならないと思うのである。

新生活185週目 - 「イエス、弟子たちに現れる」

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The Appearance of Christ at the Cenacle (Apparition du Christ au cénacle)
今週は、渡米を予定しているのでTissotの絵を見にブルックリン美術館に寄ろうと思ってちょっと知らべてみたら、かつてイベントで展示していただけで、現在展示されているものは無いようだ。それでも、時間が許せば寄ってみようかと思っている。