今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「年間第14主日 (2025/7/6 ルカ10章1-12, 17-20節)」。マタイ伝10章、マルコ伝6章に並行箇所がある。マタイ伝、マルコ伝の並行箇所では帰還の記事はない。3年前の記事がある。第二朗読をあわせて引用させていただく。
第二朗読 ガラテヤ6・14-18
14〔皆さん、〕このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。15割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。16このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。17これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。
18兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。福音朗読 ルカ10・1-12、17-20
1〔そのとき、〕主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。2そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。3行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。4財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。5どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。6平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。7その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。8どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、9その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。10しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。11『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。12言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」
17七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」18イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。19蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。20しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
福音朗読の帰還の部分の「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない」と第二朗読の「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」は同意と捉えることができる。
成果が出たとしても、それは神から出たものだということを忘れてはいけないという教えと考えてよいだろう。福音のヒント(4)には「自分の力ではなく神と人々の好意に頼って生きていく道」と書かれていて好感する。一方で、自分の力を最大限に発揮しようとする努力は必要である。
悪霊を服従させるというのはどういうことだろうか。病も悪霊のせいと考えていたとすると、邪悪な力を無効化するということと考えても良い。それが働くことによって、働きかけた人の生きる力を強くする。生きる力が強くなった結果、その力をどう活かすかはその人の自由だ。平和がとどまるということはどういうことか。生きる力が強くなったら、経済力も高まって平和も高まるかも知れない。力の使い方を間違えれば平和は崩れるだろう。平和が続くかどうかは長い時間を経なければわからない。
LLM AIの時代が本格的に到来した。多くの若者は日常的にAIを使い、力を得ている。問題把握力を向上させ、解決を助けてくれる時代となった。プログラムの生成までこなせるようになると、その力を上手に使えば社会問題の解決に役立てることもできるし、経済力や支配力を高める効果を得られる可能性がある。パーソナル聖霊が手に入ったと考えられなくもない。しかし、それがその人の平和に結びつくことが保証されるわけではない。
AIを使っている人たちの話を聞いていると、自分が解決したい問題をどの程度理解しているかが重要だと気がつく。ちょっとした日常の問題を解決するためのプログラムを生成して効果を上げて喜んでも、誤動作でお手上げになるケースもある。一方で、かなり野心的なシステムを生成し、抜かりなくそのコードを読み切って、改善を進めていくような人もいる。最近のスタートアップの中には、プログラマをほとんど雇用せずにシステムで勝負できる企業も生まれていると聞く。経済的な利益を目指すには独占的地位を確立する方向に動くことになる。所有者、執行者、受益者の満足が得られる間は平和な状態が続くが、ずっと平和が続くことはない。
「新しく創造されること」、「神の国はあなたがたに近づいた」は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」、「隣人を自分のように愛しなさい」が前提となる。自分の利のみを追求するのではなく、本当に善いことをなそうとし、包摂的であることが求められる。簡単なことではない。
アメリカ・ファーストとか、自己中心の道には長期的な持続性はない。実際に既に平和は失われ、隣人愛も分断にとって変わられてしまった。愛国心の煽りは決して平和につながることはない。力による平和を目指すのは適切ではない。
信徒となった人たちは、この世に派遣された人たちである。福音を伝え、自らには「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」、「隣人を自分のように愛しなさい」が課されている。
派遣された場所でしっかりと勤めを果たし、繰り返し自分の生きる姿勢について自省するのが良い。福音朗読の記事にもあるが、派遣された人が常に成功するわけではなく迎えられないケースもある。別の人が新たに派遣されて平和をもたらすこともあるだろう。それぞれは自分のできること、やるべきと考えることを淡々とし続けていけば良い。AIだっていくら使ってもよいだろう。賢く使いこなさなければ勤めを果たすことはできないが、使いこなせば平和を増大させることもできる。依頼むべきなのは神のみである。その基本を押さえた上で、使えるものは使えば良い。遣わされた場所で全力を尽くして、生きれば良い。
「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン」は、形式的な祈りにならないように注意しつつ、日々繰り返し祈るのが良い。
※画像はWikimedia Commonsから引用させていただいたJames Tissot: He Sent them out Two by Two。