キリスト教

新生活164週目 - 『「十人のおとめ」のたとえ』

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Wise and Foolish Virgins of Matthew 25
教訓としてはわかりやすい箇所だと思うけれど、勝ち負けの視点で見てしまうと、この次には5人の中で戦いが始まってしまうに違いないと思うのである。私は目を覚ましていなさいという言葉は、相対的、比較優劣的なメッセージであってはいけないように感じている。福音書記者の理解が書かれているのだろう。

新生活163週目 - 「律法学者とファリサイ派の人々を非難する」

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James Tissot: Woe unto You, Scribes and Pharisees
「人に見せるためである」というのは分かりやすいが、一歩踏み込むと、神と人との間に割り込むことを意味している。人が本当にやってはいけないのは、神と人との間に割り込んで、神に代わって人を分け隔てしてしまうことだと思う。自らにさばきを招く行為である。

新生活160週目 - 『「婚宴」のたとえ』

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Brunswick Monogrammist: Parable of the Great Banquet
祭司長や民の長老たちが糾弾されているのは自明だが、同じ構図が現代のキリスト教会でも成立してしまうケースはあるだろう。預かった権威を自己保有の権力と考えてしまうのは、人間の性質としてかなり根源的なものなのだと思う。目を覚ましていて、本物を追求し続けるしか無い。

新生活159週目 - 『「ぶどう園と農夫」のたとえ』

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Illustration in 1883 encyclopaedia of the ancient Jewish Sanhedrin council (from Greek synedrion, synhedrion)
「神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる」はマタイ伝だけに出てくる記述だが、この発言が本当にあったか否かでこの箇所の意味は大きく変わると思う。この記事では、本当にあったという視点で書いた。