ῥακά (rhaka)

今日の礼拝で、伝道師がマタイ伝5章22節の『バカ』という言葉に触れていた。アラム語のריקאという言葉のギリシャ語訳Strongsによれば聖書ではこの一箇所でしか使われていない。英語のNIV、BSBでは‘Raca,’という訳がつけられていて、他の訳ではidiotなどの意訳が充てられているものもある。『バカ』と充てるのはおかしくないが、アラム語の罵り表現であることに触れておいたほうが親切かも知れない。

しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。

驚いたのは、この言葉が一箇所だけで用いられていることだ。多分、当時は一発で伝わる表現であったのだろうが、どんなニュアンスであったかはわからない。

あくまで私の解釈だが、人に『バカ』とラベルづけしてはいけないと言われているのだと解釈している。行為には愚かに思えることは律法あるいは律法の本質に反するものがあって、イエスはかなり頻繁に行為を批判していた。

蛇足になるが、ブログ等で書かれている内容の誤りを指摘されるのは私にとっては喜びである。成長に繋がる可能性があるからだ。一方でラベル貼り的なコメントは軽蔑する。発言者を内側から壊してしまう可能性があり、真実の追求を妨害することになるからだ。

私は、簡単にイライラして顔に出る(と指摘される)。この箇所を読むと、自分は救われる側ではないと思わされるが、それが現実だと受け取っている。できれば救われる側でありたいと思うが、祈りつつ自分にできる善いことを追求する以外の道はない。

feedback
こちらに記入いただいた内容は執筆者のみに送られます。内容によっては、執筆者からメールにて連絡させていただきます。