確か2021年12月5日にタリン大学そばで、自分のホテルからも遠くない場所にある教会の前を通りかかって随分と大きな教会があるなあと見ていたら、どなたかが、どうぞお入りくださいと声をかけて下さったのだ。それ以来、可能な限り主日礼拝にでている。礼拝出席は200人くらいだろうか。
受付で名簿を書かされることはない。月報を渡される。プログラム部分は以下のような感じ。
エストニア語のみの月報で、まださっぱり読めないが、今はスマホで作成して、レンズにかければ翻訳してくれる。以下はそのままコピーして、本日の部分だけ太字にして改行を入れたものだ。エストニア語の日曜日は、pühapäevでPと略す。10P は10日(日)と読めば良い。幸いなことに同時通訳があり、今日は10人くらいの人がレシーバーを借りていた。
2024年11月
EMKタリン会衆の礼拝サービス
3 10.00 円
共産主義者への崇拝
指揮:ロバート・チェレンコフ、説教:ジョエル・アウリス 子供たちへのメッセージ:ハイディ・パジュスー、オルガニスト:ヴィルヴェ・ソーデ
10.15
青少年奉仕
5D 午後6時30分
聖書のレッスンと祈りの交わり - ペテロの手紙
アン・サルライ監督
7N11.00
祈りと聖書の朝「生き方」詩 119:97-105
マティ・ホールマン監督
18.00
ヴィリヤ・ヴェンツェル率いるとりなしの夕べ
10P 10.00
礼拝(父の日)
指揮:ジョエル・アウリス、
説教:アルネ・ヒオブ
子供たちへのメッセージ:リー・リレオヤ、
音楽:日曜学校の子供たち
12時 18.30
聖書のクラスと祈りの交わり - ジョエル・アウリス率いるペテロの手紙
14 午後 11:00
祈りと聖書の朝「信頼」テサロニケ人への第一の手紙 5:16-24 マティ・ソーデ指導
17P10.00
礼拝(短い祈り)
11.00
指揮:ジョエル・アウリス、オルガニスト:ヴィルヴェ・ソーデ
英国タリンナ諸会衆がエストニア展示会フェアセンターで礼拝 PIRITA TEE 28 (詳細については、別の広告を参照)
19時 18.30
聖書のレッスンと祈りの交わり - ペテロの手紙
21 午後 11:00
アン・サルライ監督
祈りと聖書の朝、仕える準備ができました」ローマ 12:1-8; 作品 3:6、
18.00
ライヴォ・コルゲマジ率いる
22 19:00
ヴィリヤ・ヴェンツェル率いるとりなしの夕べ
若々しい
24 10.00 円
共産主義者への崇拝
指揮:ヘルキ・トンベリ、説教:ロバート・チェレンコフ 子供たちへのメッセージ:マール・トンベリ、音楽:教区合唱団
26T 18.30
ジョエル・オーリス監督
聖書のレッスンと祈りの交わり - ペテロの手紙
28N11.00
祈りと聖書の朝、神の助け」ルカ 19:1-10 トーマス・パジュス主導
プログラムには讃美歌番号や聖書箇所、式次第は書かれていない。今日は父の日とのことで、子供の歌に集会の中でかなり長い時間を割いていた。あまり礼拝に参加しない父親も子供に誘われてきていたように見えた。『主われを愛す』ほか2曲を幼稚園くらいから高校生くらいまで20人強だっただろうか。ちょっとした聖職者の父に関するスピーチが入った後、父親も入った記念撮影をしていた。教会学校時代のことが脳裏に走った。
讃美歌は前方の壁に歌詞を映す。聖書も同じ。
聞いていますよ。 来てください、私はあなたをフォローします、そしてあなたはさらに疑いに近づいています。 あなたは私の父であり、あなたは私の友人です。 はい、私はあなたの優しさの中で生きています、神様。
歌は直訳しても意味をなさないが、讃美歌感はある。ちょっとだけだが、人称代名詞などは分かるので、エストニアだとこんな感じの賛美なのかと感じたのであった。
聖書の場所は、第一朗読(旧約朗読)、第二朗読(新薬朗読)、第三朗読(福音朗読)からなり、カトリックの聖書朗読と一致していた。今日初めて気がついたが、今までもそうだったのかもしれない。聖書は英語を耳で聞くのも厳しいが、場所がわかればスマホで日本語聖書は読める。今日の説教は第二朗読のヘブライ人への手紙にちょっと触れた後列王記の話に時間を割いていた。福音朗読にはほとんど触れられなかった。それほど長い説教ではないが、英訳で内容が理解できた部分はほんの僅かで特にコメントできるようなことはない。最後に主の祈りを合わせて、讃美歌(頌栄?)祝祷で終わった。
エストニア語学習が進み、後10回程度礼拝に出れば、ちょっとづつ言葉を受け入れられるようになるかもしれない。今は、日曜日だからとにかく教会に行こうという域をでないが、まあ、それはそれで良いのである。
砧教会役員と金井美彦に裏切られた(あくまで個人的感想)ダメージが大きいので他教会でも昼食会などの交流にはとても入る気にはならないが、いつか傷が癒えるときも来るだろう。砧教会運営失敗の敗因は、世代交代に失敗したことにあるのかも知れないと感じたのであった。佐分利正彦のように勝手に約束を破るような長老が幅を効かせているようでは衰退は必定である。騙される会員も未熟と言えよう。砧教会の衰退には、自分にも大きな責任がある。正しい道を歩いていっていただきたいと願っている。いずれ時は来るだろう。
今は、主日礼拝を守る機会に恵まれていることに感謝するのみ。