振り返ると5年前2019年はまだ50歳代だった。8月に砧教会で「老いに立ち向かう」という説教をしていた。後5年ちょっとで、70歳になる。果たして、70歳の私はどんな私なのだろうと思う。
引用した説教で生産性に触れている。自分自身の問題意識として、果たしてこの先社会貢献が可能なのか、その活動で生きていけるような収入が得られるのだろうかと改めて考えている。少なくない国が破綻し、予想通りの年金が支給されないケースはある。日本だって決して例外ではない。その時はその時と考えても良いが、稼げるものなら少しでも稼ぎつつ社会の役に立ちたいと思っている。振り返れば、20歳代の頃は、とにかく食える人になりたいと思って必死に頑張っていた。新入社員の頃はとにかく3年会社が安定的に成長してもらいたいものだと願っていた。競争社会の中で、位置取り合戦に終止していたと言っても良い。技術で差別化して大きな仕事をやって稼ごうという小さな野望はそれなりに満たされた。
さらに10年前の2009年はニューヨークに赴任した年だ。円高ということもあって、収入という意味では一番多かった時期でもある。2011年1月に帰国して、引用記事にあるように8月に脳虚血で一度死んだと思った。本当にこれからは良いことだけをして余生を過ごそうと思ったのだ。その思いは今も変わらない。善いことをして生きていきたいと思っている。だから、年金で生活できるとしても、ただ金を受け取ってそれなりの生活をできれば良いという気持ちにはなれない。一方で、金が入ってくると思ってしまうと緩むのも私の現実である。弱いのだ。
若者は成長する。若者には成長を期待する。だから、今はコンピテンシー(金を生む力)が足りなくても将来に期待して雇う。私も新人採用で雇われた口である。就職氷河期にいた人は、あまり雇われなかったから、私は単に運が良かっただけである。親ガチャという話もあるが、日本で1960年に生まれたというだけでチャンスに恵まれただけだと言っても良い。他人は「いやいや、そんなことはない、萩原さんの実力です」とか言ってくれるが、現在のガザに生まれていても同じ幸運があったとはとても思えない。
とは言え、何も知らない無垢なときは社会への適応が優先事項になるから、需要を満たすために努力していれば生きていける可能性が高い。それが特流の犠牲になることもあるかもしれないが、何ももっていない時には生きるすべを追求する以外の道はない。現代の日本で青年期を過ごす人もまたガチャの影響を受けているのだ。生きるために、生活を改善するためにトランプを支持する人もいるだろう。それは現実だ。
老人に将来を期待する人は稀だ。だから、もし70歳代になっても社会貢献ができる状態でありたいと思えば、自己投資するしかない。若者に期待して金を与える人はいるかもしれないが、老人の将来に期待して金を出す人はいない。老人は今期待されていることに応えているだけではジリ貧だ。まあ、若者も同じなのだが、客観的にみて老人には挑戦の機会が若者より少ない。若い時とは違う挑戦をしないわけにはいかない。
国もあてにはならない。旧ソ連圏の人は社会保障を失った。後は悠々自適と思っていた未来は来なかったのだ。日本がそうならない保証などどこにもない。一方で加齢と共にパフォーマンスが出せなくなる人はいる。いろいろなことがある中で、誰一人取り残さない社会に向けて貢献したいと思うのである。きっとできることはある。できないことがどんどん増えたとしても…。
今、羽田空港にいてイスタンブール(経由タリン)便を待っている。
ラゲッジクレームタグがいつのまにかなくなったり、ゲートアサインが未定だったり、ちょっと波乱の予感があるが、その一つ一つの経験が今後の準備だと思えば、それも貴重な未来への投資だと思えてくる。
ちょっとワクワクしている。
※画像は金曜日に40年ぶりのAmateur Academyコンサート後