キリスト教

新生活210週目 - 「逆らわない者は味方~罪への誘惑」

イエスは、まずイエスの名を出してメッセージを伝えるということを優先して良いと判断したのだろう。現実的で怖い感じもあるが、確かに社会を動かした。そして今も影響を与え続けている。邪な教えの跋扈を許すが、一定の期間を経て社会に自浄作用が働けばより良い未来が期待できる。失われた命や様々な犠牲がこの世で回復されるとは限らないが、死んでも終わりでないのであれば回復もあり得ると考えて良いだろう。

新生活209週目 - 「再び自分の死と復活を予告する」

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Christ Presenting a Little Child Benjamin West (1738–1820) Foundling Museum
「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」は、イエスに対する記述としか読めないが、「短期的には、愛は現実には勝てないが、たとえ個別に失敗したように見えても、また立ち上がる。だから、いかに現実が厳しくても愛の世界に生きなさい」という教えととっても良いのではないだろうか

新生活208週目 - 「ペトロ、信仰を言い表す~イエス、死と復活を予告する」

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The Son of Man and the seven lampstands
ペトロの信仰告白は受け入れられたように読めるが、直後に「サタン、引き下がれ」と叱られている。その後、群衆に向かって「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と語っているが、この時点では彼らはイエスが磔刑になることは誰も知らない。この不思議な記事をどう読めばよいのだろうか

イエスとその時代

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イエスとその時代
荒井献氏の訃報をきっかけに イエスとその時代 - 岩波書店 を図書館で借りて読んだ。あとがきには「本書において私が試みたのは、イエスとその時代に対する歴史的接近である。」と書かれている。私もその歴史的接近には興味があり、いくつかの新たな知見が得られて満足した。

新生活204週目 - 続々「イエスは命のパン」

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An early Christian painting depicting a feast. Found in catacombs below Rome.
「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」は強烈なメッセージで共観福音書に同様の記述はない。ルカ伝では聖餐について「わたしの記念としてこのように行いなさい」と書かれていて、関門ではなく記念行事として位置づけている。現実には、結構ヨハネ伝的な関門儀式に位置づけようとする力は強い。