キリスト教
新生活258週目 - 「客と招待する者への教訓」
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謙虚な有力者をイメージするのは難しい。神を最高権力者とする宗教は神の裁きが待つ。教訓として「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」はわかりやすいが、本当にイエスはこの通りの発言をしたのだろうか。
新生活257週目 - 「狭い戸口」
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実は広き門から入っても、そこここに狭き門が存在していて、途中から入れるケースはあるのではないかと思っている。必ずしも苦行が必要な訳では無い気がするが、必要なら苦行が与えられることもあるだろう。
新生活256週目 - 「分裂をもたらす」
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地上に火を投ずるというのは、ちがうことはちがうという声が広がっているという状況を意味するかもしれない。現代は王国(専制君主)の乱立時期に比べれば遥かにマシになっている。紆余曲折を経ながらも御国は近づいていると私は考えている。
コラジン、お前は不幸だ
牧師は「お前は不幸だ」は悲嘆を感じさせる感嘆詞をコラジンに付したと取れると言った
新生活255週目 - 「(天に宝を積みなさい)〜目を覚ましている僕」
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「あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」は真実だと思う。地上に富を蓄えれば心はそこに引きずられる。蓄えはないと危ういが、あればあったで危うい。
新生活254週目 - 「愚かな金持ち」のたとえ
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福音のヒント(1)に「イエスの言葉の内容についてはほとんど何も説明する必要がないでしょう。できるだけ素直にイエスの語りかけを、問いかけを、呼びかけを聞けばよいのです。」と書かれているのに共感する。
わたしにつまずかない人は幸いである
イエスは起きている事実を評価せよと言い、自分の正義にとらわれないようにせよ(わたしにつまずかない人は幸いである)と言ったという箇所の説教に普段とは異なる気づきがあったのでメモ
新生活252週目 - 「マルタとマリア」
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ちょっと引いてみると、夢見る妹と働き者の姉という感じだろうか。
今日は参議院議員選挙の日だ。本来であれば、衆議院にマルタ、参議院にマリアが期待されている。風向きが悪いとは言え、より長期的な視点でよりよい未来を計画できるようになれると良いと願っている。