今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「聖家族 (2024/12/29 ルカ2章41-52節)」。3年前の記事がある。並行箇所はない。Wikipedia英語版にFinding in the Templeという記事がある。
福音朗読 ルカ2・41-52
〔イエスの〕両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
両親はヨセフとマリアのことで、ヨセフはナザレの人、マリアの奉献が事実だったとすれば、マリアはエルサレムで育った人。マリアが12歳の時にヨセフが保護者として任命されたとされている。ナザレとエルサレムは100km以上離れていて、恐らく用件を含めれば2週間程度はナザレから離れなければならない。ヨセフが保護者適格とされたからには、一定の経済力があったに違いないだろう。ヨセフは建設業に関わっていたようなので、恐らくナザレの有力な建設会社の社長だったと考えれば良いのではないかと思う。仮に世襲の若社長だったとしても、マリアとは20歳程度の差があったのではないだろうか。マリアが12歳の頃、ヨセフは独身だったのだろうか。12歳のマリアは自分の将来のこと、ヨセフのことをどう考えていたのだろうか。多分、ヨセフは既婚者で、イエスの兄弟は前妻との間の子供。後に前妻との子供の中に事業を引き継いで資金面での支えになった人がいる。建設業だから、中央政府からの開発予算を得る立場だった可能性もある。
マリアにとっては、毎年のエルサレム旅行は里帰り感もあっただろう。12歳はマリアがヨセフに保護化に入る歳だから、イエスが12歳になったということは、それと同い歳、既に少年期を終えて青年に足を踏み入れる時期と言える。まだ一人前とは言えないもののの男性であれば相当範囲の行動の自由は許されていたに違いない。より若い時期には、常にマリアの視線の中にあったが、徐々に距離が開いていったはずだ。
イエスにとっては、毎年のエルサレム旅行はどういう意味を持っていたのだろう。年中行事として意識できるようになるのは6歳くらいだろうか。やがて都会エルサレムとナザレの違いを意識するようになり、エルサレムに行ったときにしか接することができない情報に興味を持つようになるのは自然だと思う。逆にナザレにいる時間は別の時の流れで、地域の知り合いとの時間が流れていただろう。経済的に裕福であれば、書籍類へのアクセスは容易だったのではないか。学ぶ時間はある程度確保できる。12歳になった時、その自分の知識を中央で確認したいと思ったとしても不思議ではない。
エルサレム旅行の折には、マリアはイエスを伴ってエリサベトを訪問しただろう。そこで後の洗礼者ヨハネとも会っていたのではないだろうか。現役を退いていたかも知れないが、祭司ザカリヤにも接していたかも知れない。ユダヤ教の教義に触れる機会は高頻度であった可能性はある。旧約聖書に学べば当然歴史や預言者の話を知る。なぜ、神の民が神の民にふさわしい自由が得られていないのかに疑問を感じていったのではないだろうか。何かが間違っているに違いないと考えただろう。その疑問を学者たちにぶつけてみたというのがこの記事のシーンで、少年イエスは時を忘れ、旅程を忘れてしまうほど夢中だったのだろう。
エリサベトは高齢出産だった。恐らくヨハネが洗礼を始めるAD28年(イエス伝研究 年代記参照)前にはゼカリヤ共々他界していた可能性が高い。それまでにはまだ15年以上がある。ヨセフも高齢で恐らくイエスの出世前に他界している。この12歳の事件の後、福音のヒント(1)にある「当時の成年は13歳」を迎え社会的責任を担う青年期に入っていく。早熟な中高生といった形だったのではないだろうか。エリザベトはヨハネに対して、マリアのことは説明していただろう。イエスは受洗時にヨハネのことは知っていて、彼の真理探求の道筋に合致していると考えて行動したと考えて良いだろう。
ただ、イエスが考える神の道は、力による支配の道ではなかった。12歳のイエスは恐らくその結論には到達していなくて、ヨハネによる洗礼を受けた後に、覚醒したのだろう。
以上は、単なる仮説に過ぎないが、もしルカ伝の記述が事実通りで、マリアの奉献が事実であったとすると、何だかゼカリヤが中心にいるように見えてくる。本当に何があったのか知りたい。恐らくユダヤ教正統派は、祭司の記録を保管しているだろうし、神殿での出来事などを調べる道は今でも残っているだろう。事実を追求している人は今も多くいる。まずは、事実は事実として、可能な限り追求したら良い。
その上で事実を超えて、神の義を追求するのが信仰の本質だろう。
※冒頭の画像は、Finding in the Temple経由でたどり着いた、Wikimedia CommonsのFile:Disputa con los doctores (El Veronés) grande.jpgから引用させていただいた。