今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「主の公現 (2025/1/5 マタイ2章1-12節)」。3年前の記事がある。並行箇所はない。3年前の記事には「欧州東方では東方教会と西方教会が並立している。」と書いている。
福音朗読 マタイ2・1-12
1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。4王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。5彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
6『ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、
わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
7そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。8そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。9彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。10学者たちはその星を見て喜びにあふれた。11家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。12ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
福音のヒント(1)で占星術の学者の原語「マゴスmagos」に触れている。Strong'sの3097. μάγος (magos)を引くとマタイ伝と使徒行伝でしか使われていない言葉で、使徒行伝では、魔術師と訳されている。
公生涯前の福音書の記述は読み返すほど疑念が湧いてくる。恐らく、何らかの伝承に基づく記事だと思うが、その通りの事実があったようには思えない。使徒行伝の記述を見ていると、魔術師、偽預言者は存在していて一定の評価を受けていたように感じる。しかし、王族までその言葉を真に受けることはあるだろうか。洗礼者ヨハネは、祭司ザカリヤの子供なので、一定の信頼を得られた可能性があるが、この占星術の学者はどうやって信頼を得たのだろうか。
東方という表現にも興味がある。アプラハムの出身がカルデヤのウルだとすると、エルサレムから約1300km東方になる。遠い異国でもあるが、アブラハムとのつながりがあれば、一定の敬意を払われた可能性もあるだろう。それにしても、ヘロデがその情報を元に虐殺を行ったという話に信憑性を感じない。
そうやって考えていると、この物語は荒唐無稽に感じられる。ただ、荒唐無稽に感じられるからこそ、実はその通りのことがあったのではないかと思えなくもない。ただ、この学者はその後の動向を追わなかったのだろうか。これだけの事があったのであれば、ずっとトレースしないわけはないと思う。その後、事故にあったなどの事情があれば追えないし、単に記事として残っていないだけの事かも知れない。後は、信じるか信じないかという話になる。
冒頭の写真は2019年11月17日(日)のミンスクの教会。教会の外で祈りを捧げている女性がいた。モールでは、スマホも売っているし、情報隔離されている感じはあまりない。公共建築物は立派だが、市民生活には貧しさが感じられる。この状態をなんとかして下さいという祈りが捧げられていると感じられるシーンを何度も見た。民主主義が機能していると思われる国では、祈りより、自助の機能あるいは公助の要求に向かう。無論、どんな場所でも深刻な問題を抱える人はいなくなることはないが、神に頼ろうとする比率は下がる。寒空の中、教会に向かって祈りを捧げる人を目にした時、信仰とは何なんだろうと考えさせられる。神頼みの少ない社会の実現が、御国を来たらせ給えという祈りに基づく行動の目的なのではないかと思う。言い換えれば、教会の教勢が下がるほうが良い方向への変化だと思うのである。ただ、キリスト教の信仰は愛を生み出す。神頼みがほぼ不要になっても、リスクがゼロになることもなければ、救いを必要とする人がいなくなることもなく、教会の価値が失われることはないだろう。改めて、信じるということはどういうことかが問われることになる。教会は誠実でなければいけない。自己保身に走って誠実さを失えば、最後の希望が失われることになる。教勢が落ちている時期にこそ真価が問われることになる。真実の追求と愛の発現は車の両輪となる。
聖書を字句通り信じることが信仰とは言えないだろう。今日の箇所は、今の私には難しい場所だ。