新生活222週目 - 「マリア、エリサベトを訪ねる」

今週も福音のヒントの箇所から学ぶ。今日の箇所は「待降節第4主日 (2024/12/22 ルカ1章39-45節)」。3年前の記事がある。

福音朗読 ルカ1・39-45

 39そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。 40そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。 41マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、42声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。 43わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。44あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。45主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」


 エリサベト訪問はルカ伝だけに登場する。Strong’sコンコルダンス1665. Ἐλισάβετ (Elisabet)によれば、ルカ伝にのみ現れる単語で9回出現しているとされている。英語版Wikipediaのエリサベトによれば、エリサベトは洗礼者ヨハネの母親でマリアの親戚とされている。正典には含まれないヤコブによる福音書の記載では、マリアが3歳の時に両親によって神殿奉献されたとされており、その時に受け入れを担当したのがエリサベトの夫であるザカリアだったする説がある。

福音のヒント(4)では、「マリアがエリサベトを訪問した目的は、神の約束の実現を一緒に待つためではないでしょうか。自分たちのうちに神の約束が成就しつつあるのを感じ取り、その喜びを分かち合うためマリアはエリサベトを訪ねたのではないでしょうか。」とあるが、エリサベトは実質的にはマリアの養母で、妊娠中の里帰りのようなものだったという解釈もある。エリサベト自身は自分が子どもを産んだ経験はなかったとしても、神殿奉献が事実だとすれば、恐らく幼少期のマリアの面倒を見たのはエリサベトだったのだと考えることもできる。マリアから見ると親世代にあたるエリサベトとの初子の同時妊娠はお互いに不安を抱えた状況で支え合うものだったのかも知れない。エリサベトから見ると神殿奉献された娘を見る目もあるだろう。

ザカリアにインタビューして真実がどうであったのかを聞きたい気がする。

神殿奉献の事実はあったのだろうか。

※画像は、Visitation英語版Wikipediaのエリサベト経由でたどり着いたもの。