2020年の6月7日は恐らく私にとっては一生忘れられない日だと思う

昨年の6月7日は日曜日で、私が当時現住陪餐会員かつ役員を担っていた教会では、総会決議に反して会堂礼拝を再開した日だ。

私は、その事実を糾弾したことで居場所を失った。真実を追うことの難しさを思い知らされている。ついに一年経過したが、結局何も解決できていない。しかし、真実が明らかになるまで静かに待たなければいけないのだろう。とてもつらいことだ。ただ、公式に表明はしていなくても、事実を認める人は少しずつ増えている。私は、必ず真実が明らかになる日が来ると信じている。ただ、事実は分かっていても、その事実に至った原因、経緯はまだ全く分かっていない。

日本感染症学会のCOVID-19ワクチンに関する提言(pdf)を読んだ

第2版を読んだ。2月にリリースされた文書で本文15ページ弱の読みやすい提言だった。副反応については確率は極めて低そうだが一種類のワクチンに頼って数年後に全滅というリスクを恐れている。個人としては一番有効性が高いものを選択したいと思うが、マクロで見れば複数の技術が利用される方が望ましい。

新生活37週目 - キリストの聖体

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Carl Emil Doepler Fronleichnamsprozession (wikimedia/public domain)
カトリック教会の教会暦では、三位一体主日の次の木曜日が聖体の祝日となる。私にとっては「聖体の祝日」なにそれ?という印象なのだが、イースターの前に最後の晩餐を考える時と、この時期に「取りなさい。これはわたしの体である。」という言葉を考えるのは位置づけが変わる。十字架の前から見るか、ペンテコステの後から見るかで見え方は変わる。もちろん、本質は変わらない。

新生活36週目 - 三位一体の主日

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1210年頃に描かれた『三位一体の盾』の図式。言語はラテン語。子なる神(ラテン語: FILIUS、子)が下方に配置され、十字架で中央と連結されているタイプ。
ペンテコステは印象深いが、私は三位一体の主日を意識したことはない。「三位一体(wikipedia)」は公会議で定式化されたもので人間が考え出した概念だ。言わば、正統をめぐる論争の結果として得られた合意である。しかし、理解を文書化しただけでは力が無いのだ。しかし、ペンテコステを引用するまでもなく時として理解を超えて聖霊は働く。聖霊が働けば人の行動は変わる。

日本のコロナ対策は客観的に見て成功していると思うがリスクは小さくない

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WHO COVID-19 Explorer 210525
米CDCが「ワクチン接種を完全に終えていたとしても今の日本の状況では変異株に感染し感染を広げる恐れがあるから」という理由で日本への渡航自粛を求めるリリースを出した。日本は、感染者を増やさないという観点で明らかに優れた成果を残しているが、残リスクは極めて大きい。

宇宙に関わる情熱的な研究者に会ったのは23歳の時だったと思う

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東京大学 中須賀真一:将来型の社会インフラで、どう社会を変えていくかを検討する
SSIL設立シンポジウムの中須賀真一氏の基調講演を見た。印象に残ったキーワードは低軌道コンステレーションだ。小さな衛星でやがて落ちても被害は生じないだろうし、安価で進歩のスピードが早い。10年も経てばとんでもなく高機能にバージョンアップしているだろう。改めて何かできることがないか考えてみようと思ったのであった。

新生活34週目 - 「天に上げられる」

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Giotto di Bondone (1267-1337), Cappella Scrovegni a Padova, Ascension
イエスは復活から40日目に昇天したとされているのだが、なぜずっとこの世に残らなかったのか、その日数にどのような意味があるのかは謎である。イエスの復活後40日間は物理的な身体を有していたとされているので、生きた人間だったようにも見えるし、扉が閉じられている部屋にいきなり現れたりするのでもはや生きた人間にはありえない特徴を有していたのかも知れない。超越的存在を待望し、従いたいという依存心を刺激する。ちょっと怖い気がするが、その時期のイエスをこの目で見たいと思う。実際どうだったのだろうか。生きているイエスとは何かを考えてみた。