新生活260週目 - 「見失った羊」のたとえ〜「無くした銀貨」のたとえ〜「放蕩息子」のたとえ

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James Tissot: The Good Shepherd
たとえ話は3つあるが、どれも失われたものが戻ってきた話で、神の民が道を外れししまっても戻ることができれば神は喜ばれるというテーマと捉えることができるだろう。信仰から外れたらそれで終わりということではない

Drupal International Federation Initiativeはハードルは高いが挑戦する価値がある

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Drupal International Federation Initiative project page
Drupal AssociationのボードがDrupal International Federation設立を進めている。米NPOを分離して国際NPOを立ち上げ、現Drupal AssociationをDrupal International Federationの下で各国のLocal Drupal Associationと同格の存在にしようと考えている。極めて困難な活動だが、実現できればデジタル公共財としてのDrupalは飛躍的な進化を遂げるだろう
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わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない(マタ12:7)

訳を検討することで得られることは少なくない。この憐れみという言葉はホセア書の新共同訳では愛という言葉になっていて、その言葉は英語では新約でmercy, compassion、旧約でmercy, loyaltyと訳されている。とても興味深い

新生活258週目 - 「客と招待する者への教訓」

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the first page of the Gospel of Luke
謙虚な有力者をイメージするのは難しい。神を最高権力者とする宗教は神の裁きが待つ。教訓として「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」はわかりやすいが、本当にイエスはこの通りの発言をしたのだろうか。