新生活266週目 - 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ

画像
Gustave Dore - The Pharisee and the publican.
改めて福音朗読を読むと「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」は私のことだなあと思う。もちろん、それではいけないと思っているが、気がつけていないことは多い。

ハマスと村山談話

ハマスにはイスラエルに対する拉致事件について深い反省に立って、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄に邁進していただきたいと思っている。弾圧される者たちの怒りはわからないわけではないが、信義を施政の根幹としなければ、好ましい未来は到来しない。

新生活265週目 - 「やもめと裁判官」のたとえ

画像
The Unjust Judge and the Importunate Widow (The Parables of Our Lord and Saviour Jesus Christ)
この箇所の解釈として、やもめのような弱いものがしつこく公正な社会の実現を求め続けることによって、社会は進化するのだ、加えて、神はその時点でのマイノリティーである「選ばれた人たち」の祈りを聞いていて、必要な精霊の働きを下すのだ、とイエスが言ったと考えてもよいだろう。

田川建三訳著 新約聖書 訳と注 1 マルコ福音書/マタイ福音書

画像
田川建三訳著 新約聖書 訳と注 1 マルコ福音書/マタイ福音書
翻訳という作業は、もともとどういう意図で書かれたのかを想像しながら、可能な限りその逐語訳をしようとする作業と捉えることができる。そのために古の写本を複数比較し、これまでの研究成果を読み込んで、当時の言葉をそのまま読めるようになろうとする無理ゲーでもある。田川訳と注を読むと、良く記憶に残っている箇所に意図的な操作が加えられていることに気が付かされる。ある種、盲信の熱狂から脱せさせる効果があり、教会組織から見れば具合の悪い書物と言えないこともない。しかし、熱狂を脱しても消えない教えは残る。

新生活264週目 - 重い皮膚病を患っている十人の人をいやす

画像
Judaea province in the 1st Century CE
サマリアという単語もサマリア人という単語もマルコ伝には出てこない。マルコ伝ではサマリア人が1箇所、ルカ伝では合計4箇所、ヨハネ伝で7箇所、使徒行伝で8箇所。新約聖書では他に出てこない。