- 65歳になった
今日、65歳になった。新たな1年、制度的には高齢者としてのひょっとしたら長く続く新たな人生がスタートした。楽しんで進んで行きたい。 - ユダヤ人の歴史
本書を読んでみて、私のユダヤ人像は大きく変わった。ユダヤ人と言うと富裕層が想起されるが、2013年の時点では、貧困率ではOECD34カ国中最悪の20.9%。旧約聖書ではエジプトで奴隷だったところから出エジプトしてカナンの地に国家を構築したことが書かれている。独立が得られていた時期は長くなく、ずっと多数の人が貧しかったのだ。 - 新生活225週目 - 「イエス、洗礼を受ける」
イエスの洗礼の記事は、ほぼ共観福音書の記述が一致している。また、その後に荒れ野の誘惑についても同じように書かれている。洗礼を受けたら、その後は様々な誘惑から守られると考えることはできない。生きている限り、常にリスクに晒されることになる。それでも、信仰告白の原点に戻り、聖霊に期待することはできる。 - 新生活224週目 - 「占星術の学者たちが訪れる」
東方の3博士の話は、クリスマス劇で良く取り上げられることもあって、そういうシーンがあったのだろうと思っていた。しかし、改めて読み直すとありえない話に思えてくる。特に公生涯前の記事にはそういう箇所が多い。聖書を字句通り信じることが信仰とは言えないだろうが、信じるとはどういうことかと考えさせられてしまう。 - ウクライナ全史【下】
本書を読んで、為政者から見た歴史ではなく、民から見た多様性のある歴史記述の厚みが将来を決めるのではないかと思った。日本(の民)も油断大敵である。 - 新生活223週目 - 「神殿での少年イエス」
繰り返し同じ箇所を読み直して、3年前と比較していると、徐々にその箇所の話だけではなく自分で調べたりした前後や背景などを面で考えるようになって来る。所詮、専門教育を受けていない無学なものの考察に過ぎず間違いも多いだろうが、イエスを取り巻く環境がどうだったのかが見えてくるような気がする。 - クリスマス礼拝が終わった
クリスマス礼拝は私にとっては区切りとなるイベントだ。感覚的には一年はこれで終わりで、でも新年は開けてはいない。逢魔が刻か夜明け前かという感覚である。
- 新生活222週目 - 「マリア、エリサベトを訪ねる」
エリサベトはルカ伝にしか登場しない人物。神殿奉献が事実だったとすれば、マリアとの関係は夫であり大祭司でもあったザカリアが神殿奉献された3歳のマリアを受け入れた時から始まっていたはずだ。だとすると彼女は実質的な養母で、実の娘のように愛情を注いでいたのではないかと思う。 - 『バルトの光と風』は1999年の訪問に基づいて書かれている
1999年を思い出すのは結構難しい。大きく変わったこともあり、ほとんど変わっていないこともある。 - 新生活221週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる(中盤)」
一世代から二世代上の方は敗戦の記憶があり、社会体制は大展開した。邪悪な日本兵が平和を希求する存在に変わったとも言える。実際に兵役を経験して、これはやっぱり違うものだと感じた人は多かっただろう。しかし、一度入ってしまえば権力構造に従うしか道はない。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言ったと書かれている。その声が日本兵に届いたとしても周囲の目もあるから、それすら守る自由はなかっただろう。人に対して悪を行わないようにせよという教えを超えて、人を愛せという教えでイエスはこの世界を変えた。