毎年出席しているGCUCのためアメリカに来ている。今年はボストン。ただ、会議に無関係に原則ニューヨークには立ち寄ることにしている。住んでいたのは2009年〜10年なので、離れてもう15年が経過した。様々な変化があり、街の姿も結構変わったが、今年もマンハッタンは多くの人で溢れている。ただ、以前に比べると日本語を聞くことが極めて少ない。円安と米欧のインフレの大きさで、円建てでの物価はものすごく高いので、気楽に訪問できる場所ではなくなっている。
ホテルは中級のもの(マリオット系列最安)でも1泊5万円程度はするし、グラセンのフードコート的な店でクラムチャウダーにグラスワインを一杯の軽食でも5,000円弱になる。パブでビーツサラダと生ビールを飲むとチップ込みで6,000円程度。ブランド物のペットボトルの水は500mlで800円程度するし、安いものでも400円程度。トランプは産業を米国に取り返すと言っているが、こんな物価の国で、競争力のある製品など作れるわけがない。
一方で、日本で物価高に悲鳴が出ているのもどうも変な気がしている。
アベノミクスで山のように国債を増やしてばらまいたのに、一向にインフレにはならなかっただけでなく、米欧との価格差は拡大し、人件費や可処分所得も相対的に大きく低下した。使い道を間違えているのだろう。個人的にはアメリカの悪い部分を真似てしまった結果だと思う。あるいはアメリカバブルに依存した結果と言えるかも知れない。それは日本に限らず世界中で問題になっていて、資本主義の終わりの始まりと捉えることもできなくはない。
米国バブル、あるいはリスクマネー依存モデルはやがて終焉する。まず、誰ひとり取り残すこと無く生きていける世界を目指して道を探ることになるのだろう。まずはアテンション・エコノミー、多くの人が煽りに負けない判断ができるようになる施策を推進するのが得策だろうと思った。
表面上はニューヨークは平和で、繁栄を享受しているように見える。気になるほどのデモにも遭遇しなかった。EWR空港も人が溢れていている。しかし、マンハッタンで歩いている人たちが話している言葉や服装と、ここで見る人達のそれはかなり違うのだ。AIもそう遠くない将来には金持ちが既得権益を守り拡大するための道具に堕ちるだろう。その戦いに生き残らなければ社会での影響力を失うが、生き残るだけでは足りない。
※画像はMOMAの睡蓮の部屋。美術館だって金がなければ運営できないが、日常の喧騒に流されるだけでなく、自分が見えている世界に歪みがあるのではないかと考える機会を与えてくれる。最近は1年に1度しかNYには行かないが、必ずMOMAには行く。そして、少額だが会員として会費を払い続けている。