- このサイトのD10移行のトライアルを行った
トライアルとしては、無事成功と考えているが、honey_potで問題が残っているのでまだ移行は待つことにした。D8からD9よりは遥かに楽だ。 - 砧教会の聖書箇所はラザロの復活だった砧教会の戦時は続いている。金井美彦氏はその事実に1mmも触れなかったが、佐分利正彦氏に私への配餐を指示した。彼の今の祝祷は私には呪いだ。悔い改めて真実に向かい合っていただきたい。
- 新生活150週目 - 「イエスの姿が変わる」
「モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」内容は何だったのだろうか? - 新生活149週目 - 「「天の国」のたとえ」
人を出し抜く行為に好感を感じえないが、発明には敬意を感じる。わたしはどうもこのたとえに共感できないが、考えさせられるものはある。 - FOSSコミュニティが声を上げる時代FOSSの代表といえば、Linuxが思い浮かぶ。私がコミュニティとして思い浮かぶのはDrupal(Drupal Association)とQGIS(FOSS4G)だ。もちろん他にもたくさんあるが、デジタル公共財という概念が生まれ、社会的な責任についても議論されるような時期を迎えている。EUのCRA問題はパラダイムシフトを起こすかも知れない。
- 新生活148週目 - 「「毒麦」のたとえ〜「からし種」と「パン種」のたとえ」
信仰告白を行うのは川を渡ってしまうことと同じで、対岸から見える景色を見ることができなくなる。使徒信条で「かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん」と終末の裁きを信じていると表明しているが、その存在を証明することも裁判の結果を予想することもできない。悪魔が毒麦の種を蒔くという解釈はわかりやすいが、違和感がある。 - 自分が何に依存しているのかを知ったら世界が違って見えるのではないか私は、毎日クロワッサンとバゲットを食べているが、その小麦がどこで生産され、どう運ばれ、誰にどれだけ金を払っているかを知らない。
- 腐敗した組織を回復させるのは難しい腐敗した組織は綺麗事を言うようになる。砧教会は最近、「真理はあなたたちを自由にする」という招詞を唱えさせるようになった。それを強制的に唱えさせるということは、自らに真理がないのを告白するのと同じである。あるいは、自分を社会の外において傍観している表明とも取れる。真理を追求しない組織に明日はない。行動の伴わない綺麗事は破滅の源泉だ。
- 新生活147週目 - 「「種を蒔く人」のたとえ」
「茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である」が重い。 - 性同一性障害巡り最高裁初判断と民主主義DEIを進めるためには、情報を集めて公開し、合理的な施策が立案できるようにしないといけない。今回の最高裁判断は個別事例に関する判断に過ぎない。しかし、裁判長の「標準的な扱いや指針、基準が形作られていくことに期待したい」というコメントは素晴らしい。立法府の取り組みが問われている。