新生活181週目 - 「イエスとニコデモ(後半)」

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Henry Ossawa Tanner: Nicodemus
ヨハネ伝だけに出てくるニコデモという話は、ここだけでなく3箇所全部を読んで像を結ぶようになる。実在の人物かはわからない。私はどちらかといえば懐疑的だが、ニコデモのような人は存在しただろう。ヨハネ伝は理性の外側にあることを理性的に書けると思わせるような危うさがあり、最近はどうも素直に受け取ることができないでいる。

新生活180週目 - 「神殿から商人を追い出す~イエスは人間の心を知っておられる」

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El Greco: Christ Driving the Money Changers from the Temple
体制、立場はしばしば人を誤らせる。勝手に神殿の境内で商売できるわけがなく、誰かが許可を出していたはずだ。その商売で動く金が神殿の維持に使われていただろう。同時に、神殿に関わるものの原資にもなっていただろう。体制が守られなければ生活水準は維持できない。本来あるべき姿に気づくことは易しくないが、中には沼から出られた人もいるだろう。スーパースターに従う人も実は沼にいるだけなのに気づけたほうが良い。

NPOの組織設計

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オープンソースコミュニティの法人化は結構難しい。活動に関わっている人はそれぞれ意見の違いがあって、良かれと思って「こうすべきだ」といった発言をする。もちろん、人間だから様々な好き嫌いもある。どちらかと言えば、カンファレンスさえ回せれば良いじゃないかという意見が多い。しかし、今後どうなっていくかを考えるとそうそう単純な判断はできない。

新生活179週目 - 「イエスの姿が変わる」

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The Franciscan Church of the Transfiguration on Mount Tabor in Israel
カトリックは様々な文書が整備、制定されていて信者を増やしカルト化を防ぐ努力が蓄積されている。過去の過ちの修正の歴史とも言えるだろう。信仰と理性は両立させなければいけない。個人的には秘跡として理性の領域から外していくことに抵抗はあるが、理性だけでは自分の倫理観も確立できない。

新生活178週目 - 「誘惑を受ける~ガリラヤで伝道を始める」

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Dir El Qaratal - Monastery of the Temptation's, Cliffs of Doq (Dagon), Jericho
マルコ伝の荒れ野の誘惑は短い。何があったかは想像するしか無いが、前後でイエスに変化が生じ、誰にも、洗礼者ヨハネにも依存することのない自由人としての活動を始めた箇所だと考えている。