イザヤ書53章・シオニズム
シオンは愛のあふれる社会を意味すると考えたい。
新生活248週目 - 「五千人に食べ物を与える」
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「天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた」はイエスが奇跡を起こしたということではなく、神に願って実現したというシーンである。3つの朗読箇所はどれも食事のシーンが書かれている。
1年ぶりに砧教会の礼拝に参加した
一年間の冷却期間を経て、礼拝に出席したら惨状は目を覆うばかりだった。権威主義は破滅の入口である。善人も慢心すれば悪魔と変わらない。
新生活246週目 - 「聖霊を与える約束」
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今日の3つの朗読箇所は使徒行伝、ロマ書、ヨハネ伝が選ばれている。ロマ書はパウロの解釈で、使徒行伝は記録報告の位置づけ、ヨハネ伝は当時の教会が採択した解釈と考えることができる。使徒行伝、ヨハネ伝は2世紀になってから文書化されているのに対して、ロマ書は50年代。ロマ書の頃、既にギリシャにキリスト教会は存在していて、ローマに影響を及ぼし始めている。事実がどうだったのかも知りたいが、ペンテコステが意味することを再考したい。
新生活245週目 - 「弟子たちに現れる〜天に上げられる」
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ある日復活のイエスが昇天したという事実はなかったのではないかと思う。復活のイエスは肉体を伴っていて弟子たちと再会した体験は恐らく真実だろう。しかし再会の体験は実際に会ったことのある人にしか機能しない。ペンテコステで霊的な働きにフェーズが変わる。じゃあ、肉体を伴った復活のイエスはどうなったのか?という問いに答える必要があるので昇天の記事が書かれたと考えることには一定の合理性があると思う。物理的な存在や事実だけに固執していても詮無いことだ。
新興国は世界を変えるか
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本書は、科研費の「新興国の政治と経済発展の相互作用パターンの解明」の経験に基づいて書かれているので、著者の解釈によるゆらぎがあるとしても相当多くの人のレビューを経た研究成果に基づいているのが感じられる。最後の「何が必要か」の提言に向けて最初から読み切るのが良い道だと思う。