新生活45週目 - 「イエスは命のパン」 画像 B年はマルコによる福音書に学ぶが、この箇所はヨハネによる福音書で読むことになっているらしい。改めて読み直すとマルコ伝とヨハネ伝では、内容に差異がある。実際に何があったのか想像すると結構怖い。 タグ キリスト教 新生活45週目 - 「イエスは命のパン」 の続きを見る
新生活44週目 - 「五千人に食べ物を与える」 画像 ひょっとすると、食べ物を与えられた群衆は革命活動の手前まで来ていたかもしれない。「人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしている」からすると、イエスは群衆を哀れに思うと同時に恐怖したかもしれない。考えてみると、この給食の話の延長線上に磔刑が見えてくる。集団の形成は危険を伴う。 タグ キリスト教 新生活44週目 - 「五千人に食べ物を与える」 の続きを見る
一年前に「無観客試合、オンライン配信、Withコロナは物事の本質を問う」を書いていた 元通りの社会が戻っていると考えるのは幻想だ。 タグ ライフスタイル キリスト教 一年前に「無観客試合、オンライン配信、Withコロナは物事の本質を問う」を書いていた の続きを見る
新生活43週目 - 「五千人に食べ物を与える」の前 画像 本日の箇所は2人組での伝道旅行からの帰還直後のシーンだ。もし一斉に帰ってきて再会したとすると、かなり計画的に定められた期間で何らかの網羅性のある活動だった可能性がある。イエスはこの伝道旅行を成功だったと考えていただろうか。 タグ キリスト教 新生活43週目 - 「五千人に食べ物を与える」の前 の続きを見る
新生活42週目 - 「十二人を派遣する」 画像 福音のヒントには「ずっとイエスのそばにいて、イエスのなさることを見てきた弟子たちが、いよいよ派遣されるのがきょうの場面です」とある。その旅がどういうものだったのか、想像してみた。現代日本にいる人は、このシーンをどう解釈すればよいのだろうか? タグ キリスト教 新生活42週目 - 「十二人を派遣する」 の続きを見る
新生活41週目 - 「ナザレで受け入れられない」 画像 「(イエス自身の出身地であるナザレでは、)ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。」とある今日の箇所は短いが印象的な箇所だ。 タグ キリスト教 新生活41週目 - 「ナザレで受け入れられない」 の続きを見る
この前の日曜日に思ったこと 何かを良くしようと思えば、力あるいは多くの賛同者が必要となる。最初は純粋な気持ちであっても、それぞれの純粋な気持ちに差異があることはやがて分かる。短期的には真実がなくても束ねる力に優れた人が率いる組織が有利になるが、長期的には束ねる力への依存度を下げても持続可能な組織が生き残るだろう。 タグ キリスト教 この前の日曜日に思ったこと の続きを見る
新生活40週目 - 「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」 画像 福音のヒント(1)で何度も「汚れる」という言葉が出てくるが、現代の概念で言えば、そもそも公衆衛生上の必要から出た規定で合理的だ。しかし、制度化されたことで、差別も生まれてしまう。ありもしない罪を罰してしまうことがあり、排除の論理が牙を剥くこともある。 タグ キリスト教 新生活40週目 - 「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」 の続きを見る
新生活39週目 - 「突風を静める」 画像 福音のヒントに『「向こう岸に渡ろう」「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」というイエスの言葉を、今のわたしたちに向かって語られる、復活のイエスの力強い励ましの言葉として聞くことができるのではないでしょうか』とあった。果たして、私に「向こう岸に渡ろう」「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」というメッセージが今発せられているのだろうか。 タグ キリスト教 新生活39週目 - 「突風を静める」 の続きを見る