新生活81週目 - 「ピラトから尋問される〜イエスの死」 画像 今週は受難週。改めてイエスが磔にされた金曜日の出来事を聖書から学ぶ。時の権力はイエスの抹殺に成功したが、約2,000年を経てその記事を読むと既に手遅れでイエスの教えが民衆の心に根付いていたことが分かる。世界を敵と味方、外側と内側が違うものと説いても全てはつながっていて事実に蓋をし続けることはできない。 タグ キリスト教 新生活81週目 - 「ピラトから尋問される〜イエスの死」 の続きを見る
新生活80週目 - 「わたしもあなたを罪に定めない」 画像 イエスは「あなたを罪に定めない」と言ったとある。「あなたを罰しない」とは言っていない。同時に「もう罪を犯してはならない」とも言っているから、あなたが罪を犯した事実はあるが、私はあなたが罪を犯した事実を告発しないという意味になる。事実が明らかになっているから、女は絶体絶命状態にある。律法の存在意義が問われる。 タグ キリスト教 新生活80週目 - 「わたしもあなたを罪に定めない」 の続きを見る
訴訟期日が2022年4月19日となった 私の視点の間違いは否定できないものの、ついに砧教会の自浄作用が働くことはなかった。恐らく、被告2人に訴状が届いているはずだ。 タグ キリスト教 訴訟期日が2022年4月19日となった の続きを見るコメント数 1
新生活79週目 - 「「放蕩息子」のたとえ」 画像 人間はほぼ100%放蕩息子である。もちろん、放蕩息子であることは推奨されていない。放蕩息子であることを自覚するところから進む道が見えてくるのだろう。 タグ キリスト教 新生活79週目 - 「「放蕩息子」のたとえ」 の続きを見る
新生活78週目 - 「悔い改めなければ滅びる」 画像 新共同訳では「悔い改めなければ滅びる」という標題がついているこの箇所は、私には印象が薄くて、何を意味しているのかこれまであまり考えたことがなかった。しかし、読み直してみると「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」は終末の裁きにおける滅びというより、無自覚のままならやがて例えば異常気象のような人災で総人類が自滅するという教えのようにに感じた。 タグ キリスト教 新生活78週目 - 「悔い改めなければ滅びる」 の続きを見る
新生活77週目 - 「イエスの姿が変わる」 画像 主の変容は、神々しいシーンを想起させる。でも、弟子たちがそこにいたのがモーセ、エリヤだと分かるわけがない。ラファエロの絵画は、16世紀の公認された解釈の一つと考えればよいのだろう。本当のところは今となっては分からない。その時、何があったのだろうか。 タグ キリスト教 新生活77週目 - 「イエスの姿が変わる」 の続きを見る
新生活76週目 - 「誘惑を受ける」 画像 受難節が始まった。まもなく2020年6月7日以降2回目のイースターを迎える。戦争が起きるまでには、数々のこのくらいのことには目を瞑ろうとしてきた積み重ねがある。福音のヒントに学びつつ荒野の誘惑を考えた。 タグ キリスト教 新生活76週目 - 「誘惑を受ける」 の続きを見る
新生活75週目 - 「人を裁くな~実によって木を知る」 画像 「人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」という言葉は重い。しかし、黙っていては何も変わらない。 タグ キリスト教 新生活75週目 - 「人を裁くな~実によって木を知る」 の続きを見る
新生活74週目 - 「敵を愛しなさい~人を裁くな」 敵を愛することのできる社会を目指すのであれば、敵に殺されたり弾圧されたりしない社会を作っていく必要がある。テロや戦争が起きない社会を隷従でない形で作ることが求められている。 タグ キリスト教 新生活74週目 - 「敵を愛しなさい~人を裁くな」 の続きを見る
新生活73週目 - 「幸いと不幸」 画像 一般に山上の垂訓の並行箇所とされているし、内容から見てもその考え方に異論はない。しかし、8項目を比較すると意外なほど違う。マルコ伝に並行箇所がないのも気になる。「神の国はあなたがたのものである」という言葉は「あなたがたは神の国の国民となる」あるいは「国民である」とは違う。あなたがたのものである神の国とは何を意味するのか考えてみた。 タグ キリスト教 新生活73週目 - 「幸いと不幸」 の続きを見る