敵や不届き者を滅ぼせば幸せがやってくると考えてはいけない

バビロン捕囚の原因を自国民の信仰不足とエレミアは事前に預言したとされている。

戦争になって、敵が目に見えるようになると、倒さねばならないと思ってしまうが、本質的に求めるべきことは一人ひとりの民の人権が守られることだ。大きな被害をもたらすものに注目してしまうが、よく考えると日頃の小さな油断が災厄を招いている。

エレミアの預言をどう聞くかは、キリスト教視点だとどうなるかを考えるた。私は一人ひとりの権利が守られて共に豊かさが増大していく社会を作るために力を出せと言われていると受け取りたい。

起きてしまった戦争を止めるために個々人ができることは極めて少ない。しかし、自国の政治を人権を拡大する方向に動かしていくことが未来を変えていく。今の暮らしを守るという視点は必要なことだが、外部環境は変わるから常に未来は今日とは異なるものに変わっていくという前提に立って、新しい未来を計画していかないといけないのだろう。

預言は受け取り手によって解釈が異なる。このあとエルサレムは陥落して、バビロン捕囚を経験する。それから約2,600年が経過しているが、その神の存在を肯定する人はいなくならなかった。そして血縁とも民族とも無関係に今も語り継がれているのである。その神を信じるものは極めて多様で、宗教組織も多様だ。プーチンも同じ神を信じていると告白していて、イスラム教過激派と言われている人も同じ神を信じていると告白している。しかし、同じ言葉に対して、受け取り方は大きく異なるのが現実だ。

正義の戦いが、排除の戦いになる時、人の命は失われてしまう。権力を指向すると敵の存在は格好のエネルギー源となる。そのエネルギーを使い始めれば大きさはともかく犠牲者は出てしまうのである。言論の自由を許し、かつ扇動を許さない社会を目指すのが良いと私は思っている。考え方があわなかったり言葉が通じないと思っても、同じ人間で人権が守られなければならないというのが私の願う姿だ。敵や不届き者を滅ぼせば幸せがやってくると考えてはいけないと思っている。

今日、砧教会で役員会報告で司会の佐分利正彦氏が初めて私から金井美彦氏、佐分利正彦氏が訴えられている件が開示された。とても良かったと思っている。実質的に情報開示権を掌握している佐分利正彦氏、金井美彦氏の勇気を称賛する。2020年6月7日以降、内部告発の存在とその内容委細を開示すること無く書面総会を開催して以来、砧教会は事実と向かいあわない場になっている。今日、その一角が漸く崩れた。隠し事はしなくて済むならしない方が良い。事実に権威、権力を優先しなければ隠し事など不要である。発言はしなかったが、久しぶりにZoomで顔出しした。同じ報告で私の家族が2人、転出完了した件が報告された。私は、その転出は主の恵みと捉えているが、同時に無くても良かったことだと思っている。私の主観では、金井美彦氏が自分の権威を守るために事実に基づいて内部告発した私を不敬罪人として裁いた結末だと考えている。やがて事実は明らかになるだろう。どういう結論になるとしても、私は教会は事実が尊重される空間であって欲しいと願っている。今回の件を経て、情報統制が困難になり、より健全な組織になっていくことを期待している。私は彼らと同じ神を信じていると思っているし、彼らが誠実であろうとしていることも疑っているわけではない。しかし、このくらい良いだろうという油断はあったと思うし、その自らの油断を認められなかったことで、結果的に多くの人を不愉快な思いをさせることになった。父は墓を失い、私は希望した現住陪餐会員への復帰は否定され続けている。家族で共に通う教会は失われてしまった。真実を求めたら、ペルソナ・ノン・グラータになってしまって多くの人を不快にしてしまっているのである。私はとても悲しんでいて、今もなぜこんな事になったのか理解できず眠れぬ夜がある。弾圧されれば恨みは生じる。しかし、敵や不届き者を滅ぼせば幸せがやってくると考えてはいない。距離感や役割関係をどうするかはともかく共に歩く日はやってくると信じている。真理が互いに自由を得させる。不自由は解消されるに越したことはない。好き嫌いは関係ない。

努力は必要だが、少し長い目で見れば、きっと今日より良い明日を迎えることができると信じている。まずは、真実の究明だ。事実が明らかになり同じ出発点に立つことによって、次に歩むべき道を考えられるようになる。小さな歴史認識問題である。

小さな問題だから良いかという油断や解くのが難しい問題だから先送りという怠惰を重ねてきた結果、戦争が起きてしまったのだと思っている。二度と繰り返さないようにするには、SDGsのアプローチのように小さな問題に丁寧に向かい合っていくことができる制度を整備していくのが良いだろう。もちろん、起きてしまった戦争を何とかしないわけにはいかないが、できることがないなら、身近な小さな問題を解いていけば良いと思う。