キリスト教

新生活49週目 - 「昔の人の言い伝え」

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ファリサイ派の人が説く内容は歴史に裏打ちされた叡智に基づいているから、その教えに従うのは多くの場合良い結果を生むだろう。食事の前に手を洗えという教えに従うのは望ましいことだと考えたほうが良い。イエスは、ファリサイ派の人が言う教えには耳を傾けるべきだが、行動にあたって何を優先するかは自分の頭で考えて決めよと言っていると読んでよいだろう。

油断大敵

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悪魔はしばしば美しい姿で神々しく、邪悪さを気づかせない狡猾さがある。それに操られていてもわからない。誰ひとりとして私は大丈夫というような人は存在しないのだ。そしてその手に堕ちても全てが終わってしまうわけではない。

新生活48週目 - 「永遠の命の言葉」

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イエスは本当に「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」と発言したのだろうか? すくなくとも聖書の書物の選定は公会議の決定を経ているので、そういう発言があったと認めても良いという合意があったと考えるのが適切だろう。当時の教派間の力関係も影響したと思う。今日の箇所は、私にとって理解に苦しむ箇所である。

矢内原事件

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今日、終戦記念日を意識した引退教師の説教で矢内原忠雄氏の話が出た。盧溝橋事件の直後、国家が目的とすべき理想は正義であり、正義とは弱者の権利を強者の侵害圧迫から守ることと主張して東大を追放された人だ。今「正義とは弱者の権利を強者の侵害圧迫から守ること」の言葉の重みを感じている。

新生活47週目 - 「マリア、エリサベトを訪ねる~マリアの讃歌」

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View of the facade of the Church of the Visitation, Ein Karem, Jerusalem
今日の福音朗読はルカによる福音書のマリアの讃歌を含む箇所で、今日の箇所も並行箇所がない。プロテスタント教会で育った私にとってはカトリックのマリア崇敬には強い違和感を感じるが、彼女から見えていた景色には興味がある。

新生活46週目 - 続「イエスは命のパン」

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Hostia
英語版のWikipediaでは”this discourse has often been interpreted as communicating teachings regarding the Eucharist that have been very influential in the Christian tradition.”(この箇所は(キリスト教会の習慣に巨大な影響をあたえ続けている)聖体に関する教えを伝えるものとしてしばしば解釈されてきた)とある。並行箇所のないところで、私は多分イエスがこの通りの発言はしたことはなかっただろうと考えている。