新生活103週目 - 「見失った羊」のたとえ〜「無くした銀貨」のたとえ〜「放蕩息子」のたとえ

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今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第24主日 (2022/9/11 ルカ15章1-32節)」。どのたとえも非常に印象的なものだが、今日の箇所にも並行箇所はない。改めて考えるとルカ伝には訓話が多いことに気がつく。

福音朗読 ルカ15・1-32

 1〔そのとき、〕徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。2すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言いだした。3そこで、イエスは次のたとえを話された。4「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。5そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、6家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。7言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。
 8あるいは、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるまで念を入れて捜さないだろうか。9そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。10言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。
 11また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。12弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。13何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。14何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。15それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。16彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。17そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。18ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。19もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』20そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。21息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』22しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。23それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。24この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
 25ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。26そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。27僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』28兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。29しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。30ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』31すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。32だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

福音のヒントで(2)で共に食事をすることに触れているが、共に食事をするという行為は結構難しい。生活習慣が違う人と食卓をともにするのは結構きついし、衛生状況の違いがあると生死に関わることもある。禁忌も違う。話として聞く分には良い話に聞くことができるが、実際に多様性の高い環境で食を共にするのはかなり困難なことだ。特に生活水準の高い人が貧しい人と食を共にするのは相当な困難が伴う。かつて豊かだった人であれば、落ちぶれた自分が食卓を共にすることが不快感を与えることを容易に想像できるだろう。病気の人と接触すればリスクが伴う。しかし、もう一歩考えると、どの人も同じ一人の人間であることに変わりはない。

もし共に食事をしようと思ったら、リスクの高い生活状態にある人の生活水準を上げていくしか無いだろう。誰かがリスクを負って手伝いをする必要がある。正直に言って私は怖がりだ。だから、医師や看護婦、介護の仕事や福祉の仕事に従事しようとする人はすごいと思うし、無名の多くの人の愛によって社会が支えられていると思っている。差別的な発言を耳にすると悲しく思うが、共にいることができると思う範囲、許容度は人によって違うから、嫌だと思っている人の心を変えることはできない。できるのは、不要な差別的な行為を止められるか否かだ。それは共存のためのルール化にほかならない。

イエスは、貧乏な家に生まれたとは思えない。少なくともナザレとエルサレムを往復するような生活をしていたわけだから、一定の経済力はあっただろう。彼は、どうして貧しい人や病をえた人と共に過ごすことができたのだろうか。彼は神だからそんなことは平気に違いないと考えるのは適切だとは思わない。彼は赤子として生まれ、人間として育ち、人間として生き、十字架刑で死んだ。人にはない力があったかも知れないが、人間として生きたのだ。生きるということがどういうことなのか、あるべき世界はどういうものなのか、深く考えていただろう。考え抜いて、怖さに勝てるようになったのだろうか。苦行だったのだろうか。彼に起きたことは容易に想像できないが、どこかで吹っ切れたのではないだろうか。

それは荒野の誘惑の時だったかも知れない。死ぬ時は死ぬ、病に罹る時は罹る。神の子として生きる覚悟を決めた時に、必要なリスクを取ることが怖くなくなったのかも知れない。自分にはとてもできない話だが、イエスは貧富の差を超えた。よく十字架の死まで無事でいられたものだと思う。慎重さもあっただろう。

不遇にある人にとっては、貧富や病の垣根を超えて人として接してくれる人間イエスは輝いて見えたはずだ。奇跡を求める下心は避けられないとしても、イエスに出会うことで人間としての尊厳を持てるようになったのではないかと想像する。生きていく力はパンによるものだけではない。

共に生きようというメッセージを発する人と共に喜び、居場所を失った人を探し出して招く。それは、人間イエスが目指す行動そのものだったのではないだろうかと思う。「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」という律法学者の言葉を批判しているようにとることもできるが、むしろ神の下の全ての人の平等を説いていると読むほうが自然に思う。

つい、自分をイエス側か律法学者側かと二項対立のように考えてしまうが、そういうことではなくて、神の前では誰にも優位性などなく同じ人間であるという大前提に立って生きよと言われているのだと解釈したい。もちろん、才能は人によって異なるから、神の下の平等と言っても担う役割は違う。どれだけ差異があったとしても、それは人としての優劣を意味するものではないというのが人間イエスが説いた教えだろう。

福音の本質だと思う。

放蕩息子のたとえを含め、この箇所は今の私にとっては救いの言葉である。

2020年6月7日に砧教会は、金井主任担任教師の独断で教会総会の決議に反して会堂閉鎖を解いた。私は、書記の任にあったので事実に基づいて牧師の独裁行為を糾弾したが、その主張は当時の役員会によって否定され、教会という家を出る決断をした。新生活103週は家を出る決断をしてから103週が経ったということを示している。まあ、言ってみれば放蕩息子である。事実に反する主張を行ったことはないと心の底から思っているが、残った人達に不愉快な気持ちを残したのは事実だ。それは申し訳ないことだと思っている。しかし、家を出るということは単純なことではない。母も妹も妻も砧教会に在籍していたし、2020年秋に父が亡くなった時に母は父を教会墓地に入れることを望んでいた。しかし、私は不義を認めず会員を欺き続ける状態を認めることはできないから、教会という家に帰るために再び不義と戦うことにした。結果的に母も妹もカトリックに改宗し妻も教会から遠のいてしまい、正会員復帰の申請は砧教会の意思として認められていない。つまり、私は排除されたものそのものだ。では99匹の体制派が正しくて私は排除されるのが適当な存在なのだろうか。真実の解明を求めて民事訴訟を起こしているが、被告らには事実関係の検証に向き合おうとする意思が感じられない。私自身が誤った主張を行っている可能性は否定できないからこそ第三者に頼ることにしたのだが、今の所事実関係が合意可能な形で明文化される可能性は低そうだ。砧教会が共に歩むものとしてふさわしくないとして私を排除するのは自由だろう。その権利は執行部にある。それがイエスの教えに準拠しているとは私にはとても思えないが、それは私がそう思っているだけのことだ。

ある日、想像に反して死んでいたのに生き返った弟が金井氏のことだったことが判明して祝宴を開いて共に喜ぶ日が来るのではないかと思うこともある。もちろん、マイノリティである私が過ちに気がついて再び迎え入れられる日が来るかも知れない。いずれにしても、失われた愛情の関係が再び結ばれるのが正しい形だと聖書で読めるのは救いである。

差別の思いを突き詰めていくと私欲に通じる。神の下の平等という教えは福音だ。

※画像はWikimediaから引用させていただいたレンブラントの放蕩息子の帰還。サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館にある。昨秋に行ったエストニアのナルバからは約150kmと遠くは無いのだが、遥か地の果てと化してしまった。神の下の平等が自由を生み出すことを期待している。