キリスト教

新生活92週目 - 「サマリア人から歓迎されない〜弟子の覚悟」

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First_century_Iudaea_province
ローマの属国の住民は、支配者との距離が果てしなく大きい。支配されない自由を求める思いは強かっただろう。引いてみれば、サマリアもエルサレムも置かれている立場に大差はない。しかし、サマリアはエルサレムに向かうイエスに冷たかった。本質的な違いはないのに。

新生活90週目 - 「聖霊の働き」

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The Holy Trinity with crown
私達は今三位一体の神の時代のこの世を生きているのだから、霊に頼りながら、愛と真実に基づく社会の構築に向けて歩むのが使命だと思っている。「あながたがたはこの世を良くするために生まれてきた」という言葉を信じている。少なくとも、専制と隷従の世界は望まない。

新生活89週目 - 「聖霊を与える約束」

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聖霊降臨祭 (Zesłanie Ducha Świętego) – ポーランドの祝祭日
「弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」に注目したい。弁護者は、二者の間に立つ第三者だから、本人、弁護者の他に誰かがいる。

新生活88週目 - 「弟子たちに現れる〜天に上げられる」

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Ascension Edicule, Mount of Olives, Jerusalem.
磔刑と同じく昇天は強烈なイベントで、その場にいる人に大きな影響を与える。40日間に復活・昇天前のイエスに関わった人はそれほど多くはなかったはずだ。事実の検証も困難だろう。ルカ伝最終部に学ぶ。

テッサロニキ訪問を思い出した

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2018年11月のテッサロニキ
テッサロニキには2018年11月に訪問した街だ。今日テサロニケの信徒への手紙一の1章を読んで、何でパウロは早期にテサロニケに伝道したのか考えた。改めて地図を見るとエーゲ海はイスタンブールで黒海に抜ける。その対岸はオデーサやクリミアだ。私の感覚ではウクライナは遠い無関係な地ではない。つながっている場所だ。

続:訴訟期日が2022年4月19日となった

訴訟の準備書面が届いた。漸く2020年6月7日に起きたことに関する私の訴えに対し金井美彦氏の見解が文書化された。見解に差があることは承知しているが、何がどう違うのか根拠を含めて検証することになる。とにかく事態が動き始めたことを心から喜んでいる。

敵や不届き者を滅ぼせば幸せがやってくると考えてはいけない

今日訴訟の存在が、砧教会の集会で役員会報告として公式に開示された。内容に触れるまでには至らなかったが、事実が開示されるのは喜ばしいことだ。それに関係なく、エレミア書に基づく説教は興味深かったし、考えさせるものだった。

新生活86週目 - 「新しい掟」

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Detail of Christ's Farewell to his Apostles
最後の晩餐のタイミングで、栄光を意識した「新しい掟」をしたとは今の私には思えない。共観福音書にある私を忘れないようにパンとぶどう酒をとりなさいと言ったシーンの方が真実に近いのではないかと考えている。むしろ、復活のイエスが昇天前に言ったのではないかと考える方が筋が通る気がする。新約聖書は複数の人が書いているので、事実と解釈が混在している。聖書を読みつつ、先人の分析や解釈を参考にしつつ、神の声を聞こうとするしかない。