今日砧教会の現住陪餐会員復帰が無い旨の通知を受けた

今日砧教会の現住陪餐会員復帰が無い旨の通知を受けた。まあ予想通りと言えなくはないのだが、本心から復帰を望んでいたので残念に思う。元はと言えば、私は当時書記だったので、牧師やもう一人の書記が総会決議に反していたことを指摘しないわけにはいかなかったところに起因している。総会決議に反する行動を取ってはいけないと言ったわけではない。総会決議に反する行動があればそれを正直に認めて、必要があったから総会決議を超える判断をしたと言って総会の承認を取れば良いのに、それを牧師ともう一人の書記がなかったことにしようとし、他の役員もなかったことにする側に立ってしまったのでこじれてしまった。逆側から見れば、何難癖つけてるんだということになるのだろうが、何度考えても私にはごまかして良いことだとは思えないのだ。それは権力者の横暴と思えるからで、権力者の横暴を許すと組織が腐るからだ。金井氏はあなたには砧教会では何の権利もない、もう終わったのだと宣言した。最後にもう一度1月に役員会で相談すると言って踏みとどまったのは救いである。まだ完全に終わったわけではない。

さまざまな応酬はあって荒れたが、2021年3月26日から再び金井氏と理解のすり合わせを始めた。読んでいただければわかると期待するが、私は本心から信頼回復を願っている。教会における総会の位置づけなどの理解がずれているかも知れないと考え、個々の事象の前に理解の土台の共通化を目指した。無論、私自身が間違っている可能性は高いので、丁寧に筋を確認した。決して誘導したり罠を張ったりしてはいない。

いろいろあったが、2021年5月29日に金井氏は

昨年6月7日に会堂閉鎖を一時的に解いたのは確かです

と書いた。「総会決議を一時停止した」と明言している。この時点で2人が食い違っているのは、金井氏は「萩原さんも含めた役員全員の了解がありました」から総会決議違反にあたらないと考えていることと、総会決議に反する行動があったのは事実だから総会決議違反だが、総会決議を超えて判断してもよいが総会決議に反する行動があったことを総会に説明して会員の理解を得る必要があるという萩原の考えだ。繰り返すが、言質を取るために誘導したりしてはいない。私が真実だと思うことを訴え続けているうちに事実を認めていただいたシーンに過ぎない。

金井氏は総会決議違反と言われることと犯罪者扱いされたと受け取っているが、私は総会決議違反は単なる事実に過ぎない、疑義が出ればその是非は総会で決めれば良いと言っている。つまり、事実を明らかにすることを拒むことは会員への背信行為に当たる。総会議事録を見ても閉鎖基準を守らなかったことは明らかな事実だ。裁量権を認めたとしても、主文に反することがあったのは明白で委細の問題とは言えない。私には、その事実をごまかすことはできない。

私は、今も心から砧教会への復帰を心から望んでいるし、同時に事実をごまかすことはできない。黙っていることはできない。

再び金井氏とのやり取りに戻ると、金井氏は2021年5月29日のメールで「総会決議をめぐる理解が当時はまったく違ったことがきっかけですが、今はそれが明らかになり、おおよその理解の一致ができたことを幸いに思います」と書いている。その内容の一致は、2021年5月24日にまとめられている。

ポイントは「3. 牧師あるいは役員会が異なる判断を下した場合でも総会決議は有効で、無効化を含め決議内容を変更するためには新たな総会決議が必要である。」だ。これが総会決議の共通理解であれば、2020年6月7日の礼拝は「牧師あるいは役員会が異なる判断を下した場合」にあたる。

決して糾弾することや論争に勝つことは目的ではない。事実を指摘する信徒の主張をごまかすような牧師であっては困る。牧師も無謬ではないという前提を忘れず「1. 総会決議は教会の総意である」に忠実であって欲しいと願っている。だから、金井氏が会堂再開がなかったと無謬性にこだわり続ける限り、この問題が決着する日は来ないだろう。

牧師と教会員の関係は結構流動的なものだ。砧教会の歴史の中でも、事実上解任になったケースはある。風向きが変われば会員の支持がなくなることもある。個々の役員の評価も変わる。私物化が疑われるようになって引退につながったケースもある。個人的には、それらのケースで牧師や役員が不誠実だったとは思っていない。総会や役員選挙で示される民意は風に流されるから、教会員自身が目を覚ましている状況にいなければならない。

金井氏は、今日会衆の前でもう信頼回復はありえないと宣言した。私は、今でも信頼回復は可能だと信じているし、その向こうに新たな道が開けると信じている。下手くそだから2021年5月29日のようにわずかに光が見えたと思っても、その道を壊してしまったのだろう。それでも、私はおかしなことを主張しているとは全く思っていないが、上手な人なら、牧師に教会で会衆を前にもう信頼回復はありえないなどと言わせて恥をかかせたりはしないだろう。自分の未熟さに打ちのめされる気持ちになる。私の視点では十分に不義の証拠は揃っているが、勝つことが目的なのではない。しかし、排除されてしまうと勝つしか道が無くなってしまう。求めている信頼回復と復帰から遠ざかってしまう。

※引用しているリンクは2021年6月26日の教会の会合(オンライン)で金井氏から口頭で書簡のやりとりの公開は差し支えないと合意を得ているので掲載。

コメント

2023年1月15日に役員会報告があって、萩原氏への回答文案作成中とあった。特にコメントはしなかった。事態が収束する方向に動くことを期待したい。

役員会に送付した文書を参考までに添付しておく。読み直すと紛糾を普及と間違えていて恥ずかしいが、出してしまった事実を曲げてもしょうがないのでそのまま添付しておく。