新生活79週目 - 「「放蕩息子」のたとえ」 画像 人間はほぼ100%放蕩息子である。もちろん、放蕩息子であることは推奨されていない。放蕩息子であることを自覚するところから進む道が見えてくるのだろう。 タグ キリスト教 新生活79週目 - 「「放蕩息子」のたとえ」 の続きを見る
新生活78週目 - 「悔い改めなければ滅びる」 画像 新共同訳では「悔い改めなければ滅びる」という標題がついているこの箇所は、私には印象が薄くて、何を意味しているのかこれまであまり考えたことがなかった。しかし、読み直してみると「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」は終末の裁きにおける滅びというより、無自覚のままならやがて例えば異常気象のような人災で総人類が自滅するという教えのようにに感じた。 タグ キリスト教 新生活78週目 - 「悔い改めなければ滅びる」 の続きを見る
新生活77週目 - 「イエスの姿が変わる」 画像 主の変容は、神々しいシーンを想起させる。でも、弟子たちがそこにいたのがモーセ、エリヤだと分かるわけがない。ラファエロの絵画は、16世紀の公認された解釈の一つと考えればよいのだろう。本当のところは今となっては分からない。その時、何があったのだろうか。 タグ キリスト教 新生活77週目 - 「イエスの姿が変わる」 の続きを見る
新生活76週目 - 「誘惑を受ける」 画像 受難節が始まった。まもなく2020年6月7日以降2回目のイースターを迎える。戦争が起きるまでには、数々のこのくらいのことには目を瞑ろうとしてきた積み重ねがある。福音のヒントに学びつつ荒野の誘惑を考えた。 タグ キリスト教 新生活76週目 - 「誘惑を受ける」 の続きを見る
新生活75週目 - 「人を裁くな~実によって木を知る」 画像 「人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」という言葉は重い。しかし、黙っていては何も変わらない。 タグ キリスト教 新生活75週目 - 「人を裁くな~実によって木を知る」 の続きを見る
新生活74週目 - 「敵を愛しなさい~人を裁くな」 敵を愛することのできる社会を目指すのであれば、敵に殺されたり弾圧されたりしない社会を作っていく必要がある。テロや戦争が起きない社会を隷従でない形で作ることが求められている。 タグ キリスト教 新生活74週目 - 「敵を愛しなさい~人を裁くな」 の続きを見る
新生活73週目 - 「幸いと不幸」 画像 一般に山上の垂訓の並行箇所とされているし、内容から見てもその考え方に異論はない。しかし、8項目を比較すると意外なほど違う。マルコ伝に並行箇所がないのも気になる。「神の国はあなたがたのものである」という言葉は「あなたがたは神の国の国民となる」あるいは「国民である」とは違う。あなたがたのものである神の国とは何を意味するのか考えてみた。 タグ キリスト教 新生活73週目 - 「幸いと不幸」 の続きを見る
新生活72週目 - 「漁師を弟子にする」 画像 今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第5主日 (2022/2/6 ルカ5章1-11節)」。「すべてを捨ててイエスに従った」という記述から、イエスに従うということはどういうことかを考えさせられる箇所だ。「恐れることはない。」という言葉が心に届くと人間の行動が変わる。 タグ キリスト教 新生活72週目 - 「漁師を弟子にする」 の続きを見る
新生活71週目 - 「ナザレで受け入れられない」 画像 イエスは、正統性に価値を置かない。最たるものは血統である。神の恵みは血にも地にも無関係だと繰り返し説いているのだが、「あなたには特別な価値がある」という言葉を求める誘惑から誰も逃げられない。そして、不安が高まると少なくない人がその罠に堕ち、テロや戦争が起きてしまう。集団ヒステリーが起きている時になぜか「イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた」。 タグ キリスト教 新生活71週目 - 「ナザレで受け入れられない」 の続きを見る
新生活70週目 - 「ガリラヤで伝道を始める~ナザレで受け入れられない」 画像 「ナザレで受け入れられない」は、今の私が直面している問題そのものだ。 タグ キリスト教 新生活70週目 - 「ガリラヤで伝道を始める~ナザレで受け入れられない」 の続きを見る