キリスト教

新生活48週目 - 「永遠の命の言葉」

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イエスは本当に「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」と発言したのだろうか? すくなくとも聖書の書物の選定は公会議の決定を経ているので、そういう発言があったと認めても良いという合意があったと考えるのが適切だろう。当時の教派間の力関係も影響したと思う。今日の箇所は、私にとって理解に苦しむ箇所である。

矢内原事件

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今日、終戦記念日を意識した引退教師の説教で矢内原忠雄氏の話が出た。盧溝橋事件の直後、国家が目的とすべき理想は正義であり、正義とは弱者の権利を強者の侵害圧迫から守ることと主張して東大を追放された人だ。今「正義とは弱者の権利を強者の侵害圧迫から守ること」の言葉の重みを感じている。

新生活47週目 - 「マリア、エリサベトを訪ねる~マリアの讃歌」

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View of the facade of the Church of the Visitation, Ein Karem, Jerusalem
今日の福音朗読はルカによる福音書のマリアの讃歌を含む箇所で、今日の箇所も並行箇所がない。プロテスタント教会で育った私にとってはカトリックのマリア崇敬には強い違和感を感じるが、彼女から見えていた景色には興味がある。

新生活46週目 - 続「イエスは命のパン」

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Hostia
英語版のWikipediaでは”this discourse has often been interpreted as communicating teachings regarding the Eucharist that have been very influential in the Christian tradition.”(この箇所は(キリスト教会の習慣に巨大な影響をあたえ続けている)聖体に関する教えを伝えるものとしてしばしば解釈されてきた)とある。並行箇所のないところで、私は多分イエスがこの通りの発言はしたことはなかっただろうと考えている。

新生活44週目 - 「五千人に食べ物を与える」

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Ruins_of_Bethsaida_village_in_summer_2011
ひょっとすると、食べ物を与えられた群衆は革命活動の手前まで来ていたかもしれない。「人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしている」からすると、イエスは群衆を哀れに思うと同時に恐怖したかもしれない。考えてみると、この給食の話の延長線上に磔刑が見えてくる。集団の形成は危険を伴う。

新生活43週目 - 「五千人に食べ物を与える」の前

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rumunia_5806.jpg
本日の箇所は2人組での伝道旅行からの帰還直後のシーンだ。もし一斉に帰ってきて再会したとすると、かなり計画的に定められた期間で何らかの網羅性のある活動だった可能性がある。イエスはこの伝道旅行を成功だったと考えていただろうか。

新生活42週目 - 「十二人を派遣する」

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ナザレの平均気温
福音のヒントには「ずっとイエスのそばにいて、イエスのなさることを見てきた弟子たちが、いよいよ派遣されるのがきょうの場面です」とある。その旅がどういうものだったのか、想像してみた。現代日本にいる人は、このシーンをどう解釈すればよいのだろうか?