新生活81週目 - 「ピラトから尋問される〜イエスの死」

hagi2022/04/10(日) - 08:33 に投稿
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今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「受難の主日 (2022/4/10 ルカ23章1-49節)」。今週は受難週、次の日曜日がイースターとなる。

ルカ伝23章は金曜日の話で、たった一日でピラト一審、ヘロデの取り調べ、ピラト二審、処刑と慌ただしい。当時の暦は日没から始まるので、夜中に一気に話が進んで、朝には磔となり、日没前(当日中)に死んだということになる。前日、娑婆にいた人が、起きてみたら死刑が確定してあっという間に殺されてしまったというとんでもない話である。イエス:最後の晩餐と十字架の日という記事で、時系列に関する分析があった。著者は分からないが、読書家らしい。

いくらなんでも、短すぎると思う。登場人物の大物さを考えると、そんなに夜中に働くだろうか。容易には、そのまま史実として受け取ることはできないが、まずは福音朗読を読む。

福音朗読 ルカ23・1-49

  〔そのとき、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは〕1立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。2そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」3そこで、ピラトがイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」とお答えになった。4ピラトは祭司長たちと群衆に、「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。5しかし彼らは、「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と言い張った。
  6これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、7ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。8彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。9それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。10祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。11ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。12この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。
 13ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、14言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。15ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。16だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」18しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。19このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。20ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。21しかし人々は、「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫び続けた。22ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」23ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。24そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。25そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。
 26人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。27民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。28イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。29人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。30そのとき、人々は山に向かっては、/『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、/丘に向かっては、/『我々を覆ってくれ』と言い始める。31『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」32ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。33「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。34そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。35民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」36兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、37言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」38イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。39十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」40すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。41我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」42そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。43するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
 44既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。45太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。46イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。47百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。48見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。49イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

福音のヒント(1)でピラト一審の「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」に触れられているが、サンヘドリンからすれば、現代で言う内乱予備罪にあたるということなのだと思う。当時の最高法院がどの程度まともであったかは分からないが、属国とは言え、国あるいは自分達の権威を守ることに熱心だったのは想像に難くない。愛国者であり、権力のポチでもある。極端な例にすれば、ロシアを背景にしたベラルーシのルカシェンコ政権、あるいはシリアのアサド政権かも知れないし、アメリカを背景にした安倍、自民党政権のようなものと考えることができる。民意は、イエスの教えに驚き、人気急上昇だったので叩き潰しておかないと権威は守れない。しかし、ピラトは一審では、恐らく民衆の支持が厚く、武力闘争のリスクがないことから、サンヘドリンの主張を却下する。とは言え、子飼いの小役人が収まらないので、名ばかりの領主ヘロデに送ったのだろう。現代日本に照らせば、天皇に裁かせろと言った感じに近い。カヤパ、アンナスからすれば2重に具合が悪い。権力者(アメリカ)から見れば、単なるお飾りなのは明らかだが、自分達にとっては権力の裏付けになる存在である。聖書の文面を信じる限り、ヘロデはエンターテイメントとしてしかイエスを見ていない。彼にとってはイエスはどうでも良い存在で、ローマの武力が背景にあるので、全く驚異を感じていない。彼からすれば、サンヘドリンだって無力だが偉そうでうるさい存在に過ぎなかっただろう。権力者から見ると、サンヘドリンもうるさいハエと変わらない。そのバカバカしさを価値観として共有して心の距離が縮まったのかも知れない。ピラトもヘロデも辺境の地で小さな権力を得たこの世での将来が開ける可能性のない存在だったのだろう。民から見れば雲上人だが、本人二人はとてもそうは思っていなかったと思う。

しかし、サンヘドリンあるいは自分の権力に危機を感じる小役人は侮れない。右派を動員してFakeニュースを含めて、徹底的に民衆を扇動した。夜中にも関わらず相当な人数の動員に成功して、ピラト二審で動員した民衆に死刑を叫ばせた。恐らく、普通の民は寝ていたのだろう。ピラトからすれば、なめきっていたサンヘドリンの思わぬ扇動に鼻白んで、自分のローマでの地位が揺らぐことを懸念した。イエスなどどうでも良いので、何とかして事を収めようとするが、結局サンヘドリンに屈したのだろう。では、サンヘドリンは勝ったかと言えば、それはない。結局、その愛国心が国を完全に消滅せしめることになったのだと思う。パラダイムシフトを提唱する政敵を葬って、千載一遇のチャンスをフイにしたといったところだろう。

福音のヒント(2)の「そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのか知らないのです』」に触れている。この「彼ら」が誰を指しているのかは考える価値があるだろう。史実として発言があったと仮定した時、ルカ書筆者あるいは編者は扇動されてしまった人たちを指したのかも知れないが、ひょっとするとイエスがピラト、ヘロデ、サンヘドリンを指していた可能性も否定できない。

今のロシア、あるいは先の大戦時のドイツや日本の人たちも、その時には本心から良心に従っているのだろうが、後刻猛烈な後悔にさらされることになる。Fakeニュース、事実をごまかすことは本当に罪深いのだ。善良な民に甚大な被害を及ぼす。一刻も早く「道を真っ直ぐにせよ」という言葉に耳を傾けられるようになる方が被害が減る。必ず、警告している声はあるのだが、なぜか聞こえない、心に届かないのだ。それは他人事だからだ。

取り返しのつかない事件が起きてしまって初めて気がつくことはある。イエスが本物だと信じた人たちも「終わった」と思っただろう。人間イエス自身はどう思っていたのかはわからない。私達は聖書を通じて後日談を知っているから福音のヒント(5)にあるように「死を超えて、イエスと神との絆(きずな)・イエスと人々との絆は完成していった!」と解釈できるが、もしその場にいたら、せいぜい、この磔はおかしくないかと遠巻きに言う程度、他人事としてしか見ることしかできなかったと思う。保守派であれば、秩序は守られたと胸をなでおろしただろう。ハッピーエンドとはいえないがとりあえず「終わった」。しかし終わってはいなかったのだ。イエスがいなくなれば終わるとほとんどの人が思っていたとしてもイエスが見せた新しい景色は既に少なくない人の心に入って、真実を目指す勇気が育っていた。強いものが弱いものを支配し律法で排除を正当化する世界は弱いものはさらに弱いものを叩く方向に動く。弱いものにも等しく生きる権利があり、共に生きる方向に進む世界が望ましい世界だという教えが心に入れば、現実には権力に従うしか道がなかったとしても、できる小さなことであっても行動は変わる。十字架のイエスに従った婦人たちにはその教えが定着している。屈強な男性が従えば権力は排除に動くが、婦人の無力さ故にその行動は許された。そういう動きを見ていた人の心にも影響を与えただろう。後世から見れば、権力側の勝利と十字架の悲惨と同時に既にこの時点で潮目は変わっていたということだ。

これらの事件からたった3日でイエスは復活する。終わっていなかったのだ。

「終わった」と思っていた人が、いや、終わっていなかったと気づいたら、再び一度は「終わった」と思った道を歩み始める。以前より確信も高まる。49節の「イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた」はある程度史実だろうと思う。時代の流れに抗うことはできなくても、起きていることを見守ることはできる。終わったこととして忘れるのではなく、何もできなくても見ていれば、やがて自分が歩む道が見えてくるということなのだろう。プロパガンダは、事態を自分とは関係ない他人事にすることができるかで成否が決まる。自分のいる世界と違うところで起きていることと考えてしまうのではなく、遠くに立っているとしても起きていることを見ていることは大事なことだ。本当は、内側と外側はつながっていて、別世界ではないのだ。

ちなみに、この「昼の十二時ごろ」に全地は暗くなったのが日食とすると、天文学者の推定では西暦30年4月7日らしい(キリスト処刑の日の特定)。

※画像はWikimediaからの引用