新生活40週目 - 「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」
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福音のヒント(1)で何度も「汚れる」という言葉が出てくるが、現代の概念で言えば、そもそも公衆衛生上の必要から出た規定で合理的だ。しかし、制度化されたことで、差別も生まれてしまう。ありもしない罪を罰してしまうことがあり、排除の論理が牙を剥くこともある。
昨年の6月7日は日曜日で、私が当時現住陪餐会員かつ役員を担っていた教会では、総会決議に反して会堂礼拝を再開した日だ。
私は、その事実を糾弾したことで居場所を失った。真実を追うことの難しさを思い知らされている。ついに一年経過したが、結局何も解決できていない。しかし、真実が明らかになるまで静かに待たなければいけないのだろう。とてもつらいことだ。ただ、公式に表明はしていなくても、事実を認める人は少しずつ増えている。私は、必ず真実が明らかになる日が来ると信じている。ただ、事実は分かっていても、その事実に至った原因、経緯はまだ全く分かっていない。