新生活57週目 - 「盲人バルティマイをいやす」

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今週も福音のヒントに学ぶ。今日の箇所は「年間第30主日 (2021/10/24 マルコ10章46-52節)」。福音のヒントの冒頭では、ガリラヤからエルサレムの旅が終わりに近づいていると書いてある。マルコ伝では、この「盲人バルティマイをいやす」がエルサレムに入る前の最後の話となる。

福音朗読 マルコ10・46-52

 46〔そのとき、イエスと弟子たちは〕はエリコの町に着いた。イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人の物乞いが道端に座っていた。47ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。48多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。49イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」50盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。51イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。52そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

エリコについては、Wikipediaによると、「死海の北西部にある町。古代オリエントの中でも古い町で、紀元前8000年紀には周囲を壁で囲った集落が出現した。世界最古の町と評されることもある。海抜マイナス258mと、世界で最も標高の低い町でもある。」とある。Google Mapで標高モードで見ると、ガリラヤからの道はヨルダン川に沿って南下するのが自然に見える。エルサレムは高度800m強なので、標高差は1,000m以上あり、徒歩での距離40km弱で7時間と出る。エリコを出ると、岩砂漠を経由する登りが始まるから、モードが変わる場所となるだろう。地理的な状況を頭において聖書箇所を読むと「イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき」というのは、ある意味で戦闘モードに入った瞬間の出来事だったと考えるのが適切なのではないだろうか。

エリコは洗礼者ヨハネが過ごした場所からも近く、イエスを洗礼者ヨハネの後継者として見る人もいただろうし、その彼がガリラヤから上京して世直しに着手するととらえた人もいただろう。某牧師は、この旅はデモのようなものだったのではないかと先週言っていたが、そうだったかも知れないと思う。エリコには、ヨハネを記憶していた人も多くいただろうし、ヨハネの弟子だったイエスの噂も広がっていたかも知れない。ガリラヤからずっとついてきた人は僅かだったのではないかと思う。街で行うようなデモは10kmも歩けば十分で、エリコからエルサレムでも長すぎる。7時間、1,000mの登りを100人を超える集団で行ったとしたら相当面倒だ。実際はどうだったのか、容易に想像することはできない。

福音のヒント(1)で「何の役にも立たない「盲人の物乞い」など用がない」というのは、デモや世直し運動であれば自然な思いだと思う。力に頼る方向に意識が向けば、女子供は足手まといということになるから、障碍者はさらに面倒を増やす。そういう人を群れに加えれば全体の力は削がれることになる。

つまり、『イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた』は権力と栄光を結びつけて考える人達からすると極めて常識はずれな行動となる。いよいよ、出立という時だから無視して進むのが自然な行動だ。結構不思議な話である。しかし、その後の話を知っているわたしたちから見れば、イエスがこういう状態にある人を見捨てるわけにいかなかったのを理解できる。役に立つとか立たないということは神の救いの是非を左右する意味を持たない。イエスに従うのなら、面倒な人を見捨ててはいけないことになる。現実的には無理だ。できることをするしかない。

今の私は、砧教会で見捨てられ、金井美彦氏から排除される側の苦痛の中にある。あきらめてしまわないのは、自分がイエスに救われたと思って覚悟を決めて洗礼を受けたことに立ち戻ることがかろうじてできているからだと思う。どれだけ善行の積み重ねがあっても、誰であれ生きていれば罪を犯し続ける。もちろん、私も例外ではないというか、ダメダメである。

愛は「誰ひとり取りこぼさない」の実践を意味するのだろう。振り返れば恥ずかしいことばかりでも、前を向いて歩くしか無い。

単純に、良かったねバルティマイと喜びたい。ずっと前を向いていられたら良いねと祈りつつ...

※画像は、WikimediaのFile:Jericho Panorama.jpgから引用したもの。その時、どうだったのか見てみたいが、時代が超えられないなら、せめて自分の足で歩いてみたい。