だるい人

Moon Ridersの「だるい人」の歌詞(詩:蛭子能収)が最近頭に浮かぶ。「金が欲しい」と「自由が欲しい」は根源的な願望だと承知している。給料はもっと欲しい、(転職や働き方の)自由はゆずりりたくない。後者は、フリーランスでも被雇用者でも卓越した能力で生き残れる人になりたいのと私の中では同義である。なんとかなるだろうと思ったりもするが、現実は厳しい

新版 企業の人間的側面

画像
新版 企業の人間的側面
本書は、現代においても経営者の基礎知識として必ず読むべき本と言えると思う。管理者の育成の章では、経営者が現場管理者が機能しているかアセスメントできるヒントも書かれていて、実用性も高い。ワークシートやプロセステンプレートは経営コンサルやそういう会社から買えば手に入るが、その前に理屈は学んでおかないと魂は入らない(例外的な天才はいるが…)。ぜひお薦めしたい書籍である。

ユダヤ人の歴史

画像
ユダヤ人の歴史 レイモンド・P・シェインドリン 著  入江 規夫 訳
本書を読んでみて、私のユダヤ人像は大きく変わった。ユダヤ人と言うと富裕層が想起されるが、2013年の時点では、貧困率ではOECD34カ国中最悪の20.9%。旧約聖書ではエジプトで奴隷だったところから出エジプトしてカナンの地に国家を構築したことが書かれている。独立が得られていた時期は長くなく、ずっと多数の人が貧しかったのだ。

新生活225週目 - 「イエス、洗礼を受ける」

画像
Depiction of the Christian Holy Spirit as a dove, by Gian Lorenzo Bernini, in the apse of Saint Peter's Basilica, c. 1660
イエスの洗礼の記事は、ほぼ共観福音書の記述が一致している。また、その後に荒れ野の誘惑についても同じように書かれている。洗礼を受けたら、その後は様々な誘惑から守られると考えることはできない。生きている限り、常にリスクに晒されることになる。それでも、信仰告白の原点に戻り、聖霊に期待することはできる。

新生活224週目 - 「占星術の学者たちが訪れる」

画像
2019年11月17日のミンスクの教会の前で入らずに祈りを捧げる女性
東方の3博士の話は、クリスマス劇で良く取り上げられることもあって、そういうシーンがあったのだろうと思っていた。しかし、改めて読み直すとありえない話に思えてくる。特に公生涯前の記事にはそういう箇所が多い。聖書を字句通り信じることが信仰とは言えないだろうが、信じるとはどういうことかと考えさせられてしまう。

新生活223週目 - 「神殿での少年イエス」

画像
Jesus among the doctors at the Temple.
繰り返し同じ箇所を読み直して、3年前と比較していると、徐々にその箇所の話だけではなく自分で調べたりした前後や背景などを面で考えるようになって来る。所詮、専門教育を受けていない無学なものの考察に過ぎず間違いも多いだろうが、イエスを取り巻く環境がどうだったのかが見えてくるような気がする。

新生活222週目 - 「マリア、エリサベトを訪ねる」

画像
Visitation
エリサベトはルカ伝にしか登場しない人物。神殿奉献が事実だったとすれば、マリアとの関係は夫であり大祭司でもあったザカリアが神殿奉献された3歳のマリアを受け入れた時から始まっていたはずだ。だとすると彼女は実質的な養母で、実の娘のように愛情を注いでいたのではないかと思う。