キリスト教

砧教会の会堂礼拝参加は連続4週目

礼拝前、当初は、金井美彦氏は文書の配布をやめてくれと言い、くり返し求めると受け取り、やはり返却すると言った。返却は受け取らないと言い、受け取っても読まないがそれでも良いかと問われたので、それで良いから受け取れと求めた。礼拝後、金井美彦氏は受け取った文書を受付に置いて公開すると会衆に宣言した。その判断は立派だと思う。決して彼は腐りきっているわけではない。

新生活128週目 - 「イエスの姿が変わる」

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Brooklyn_Museum_-_The_Transfiguration_(La_transfiguration)_-_James_Tissot_-_overall
受難節2週目の福音朗読は山上の変貌。本当に何が起きたのかはわからないが、何かが起きた。当時の弟子たちと違い、私たちはその後何が起きたのかは知っている。だからこそこの箇所から学ぶことがあるのかも知れない。

久しぶりに砧教会の会堂礼拝に参加した

リアル会堂礼拝にはオンラインで得られない体験が確かにある。集まっているという感覚があり、共にいるという喜びはある。牧師と対立関係にあっても、自分に嘘をつくことはできないし、逆に自分の誠実性に自信を持っているので、堂々と出席した。場を緊張させるのは申し訳ないと思うが、真実をごまかすわけにはいかない。

新生活126週目 - 「復讐してはならない、敵を愛しなさい」

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folio 51 recto with passage from the Gospel of Mathew
敵を愛せという教えは、それだけを取り出すと無理がある。ウクライナの人が今攻めてきているロシアの兵士を愛することは無理だ。しかし、捕虜を公平に扱うことはできる。自分が愛する人のために不正をしてはいけないし、自分が愛することのできない人だからといって不正な扱いをしてよいということはない。

新生活125週目 - 「律法について、腹を立ててはならない、姦淫してはならない、離縁してはならない、誓ってはならない」

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Sermon on the Mount (1877)
弟子たちは、イエスが「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。」と言ったと伝えたのだろう。それらの言葉が集められて文書化され、福音書はできた。うける話は繰り返され残っただろうし、うけない話は回数が減り消えていっただろう。その伝承の奥に何があったのかを多くの人が研究してきた。

エレミヤ書20章 「エレミヤの告白」

説教を聞いている間は、そこから何が得られるのかと集中できるのが良い。実際には、他ごとが頭に浮かんできて集中力が削がれることも多いし、説教者の状況次第でがっかりさせられることも少なくないが、そこに学びの機会は必ずある。