キリスト教

言わなければよいのに

Facebookで書いた記事を一部訂正して再掲。『【事実隠ぺいの代償】国益に反する厚労省のリスクコミュニケーション失敗《岩田健太郎教授・感染症から命を守る講義㉙》』という記事を読んで書いたものだ。ダイレクトには書かれていないが、事実をごまかすと最後は敗戦に至るという寓話である。ふと、パウロは生前のイエスに対する関心が薄かったという伝承を想起した。実際のところ、聖書を読めば読むほど、人間イエスはそうとうやばい。しかし、イエスの教えは革新的で核心的だと思う。パウロは偉人伝ではなく信仰の本質を説いたのだと思う。イエス伝、福音書を含む偉人伝は人の感動を生むが、それだけではパラダイムシフトは起きないのだと考えている。

二元論と因果応報、そして確率

因果律は確かに機能している。しかし、確率的にしか機能しないし、時間軸を変えてみると機能しなかったことに気付かされることも多い。大勢の人が、確率的に有利な行動を取れるかどうかがコミュニティの未来を左右する可能性が高いが、それも確率的な事象となる。

無観客試合、オンライン配信、Withコロナは物事の本質を問う

Withコロナは物事の本質を問うと思う。スポーツあるいは興行としてのスポーツイベントの本質は何か、音楽あるいは興行としての音楽イベントの本質は何かが問われることになる。コワーキングのオンライン化も模索されたり、リモートワークが強いられると仕事あるいは執務の本質は何かが問われることになった。

コロナ禍で発見したこと

オンライン会議は全員がリモートで行うのが効果的という事を気が付き始めている人は多い。オンライン礼拝と会堂で行うリアルな礼拝のオンライン配信は似て非なるもので、やはり全員がリモートの状態で行うか否かで体験は全く変わる。