福音のヒントでは、本日は「年間第2主日 (2021/1/17 ヨハネ1章35-42節)」。今週から幸田和生氏の教会は閉鎖するらしい。私は、もっと前に閉鎖済みだと思っていた。
さて、今日は「最初の弟子たち」の話である。福音のヒントによれば、ABC年度に関わらず年間第2主日はこの箇所を読むしきたりらしい。まず最初に聖書箇所を引用させていただく。何かのきっかけでこの文章を初めて読む人のために念の為ポジションを書いておくと、私は日本基督教団砧教会で19歳の時に洗礼を受けたクリスチャンで、61歳の今もキリスト教を信じ、イエスの復活を信じている者である。聖書の記述を疑うような表明があってもイエスが神(の子)であることを疑っているわけではない。
福音朗読 ヨハネ1・35-42
35〔そのとき、〕ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。36そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。37二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。38イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、39イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。40ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。41彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。42そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。
[そのとき、]は[その翌日、]と聖書に書いてあるのはおいておくとして、あらためて読み返すと、これはかなり異常なシーンだと気づく。ちょっと考えれば、いきなり(将来弟子となる)ヨハネが「見よ、神の小羊だ」と言い、二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従ったというようなことが起きるわけがない。イエスは神の子であるという前提をおいて読むと、ああ、そんなこともあるかも知れないと思うのだが、道をあるいている人を見てその人が神の化身と分かるのも異常だし、それを受け入れてついていくというのも常軌を逸している。私は、現実にはそんなことは起きなかったと思う。
ネットは便利なもので、4福音書の対照情報がある。これによると、今日の箇所は並行箇所がない。ヨハネ伝以外の福音書ではイエスの洗礼者ヨハネによるエルサレム近傍での受洗があって荒野の誘惑があってガリラヤに行って、宣教活動を行う流れになっている。エルサレムとガリラヤは100km以上離れているので、洗礼者ヨハネの元で修行したと考えるのが自然だと思う。その過程で頭角を表し、グループリーダーの位置にあったと考えることもできる。洗礼者ヨハネが逮捕され、ヨハネ教団が危機に瀕する中、ある程度の人数で集団で北に移動したと考えるとしっくりくる。師を失って自立する時期を迎え、旅立つとともにリーダーとして覚醒したと考えても良いと思う。既に、問いを投げかける相手だった洗礼者ヨハネは接触不能な状態にあり、自分自身で現実に向かい合わなければいけない状態だったのだではないかと思う。
長い時間をかけて、親しい仲間との信頼関係を築き、宗教指導者として一本立ちしたのだと思っている。洗礼者ヨハネはイエスこそが来たるべき人であることを知っていたかも知れないし、確信はないが候補者だと思っていたかも知れない。多分、後者だろう。期待をかけて、育成したのではないかと思う。ちなみに、英語版のWikipediaの使徒ヨハネに関する記述は、日本語版とは異なり、He was first a disciple of John the Baptist. - 使徒ヨハネはもともと洗礼者ヨハネの弟子だった、とある。そうだとすると「見よ、神の小羊だ」と言ったのも腑に落ちる。漁師ゼベダイの子とされているが、ゼベダイは漁師というより網元で資産家だった可能性も感じる。ヨハネを介してイエスの伝道活動資金を供給したパトロンだったかも知れない。
ヨハネ伝でも、4章最後でガリラヤに着く。そういう意味では、エルサレム近辺の死海の近傍時代の話がヨハネ伝には書かれていると考えても良いと思う。もし、そういう読み方をするならば、ヨハネもほかの二人の弟子もヨハネ教団の信徒だったと考えることができる。そうだとすると、今日の聖書箇所は、ヨハネ教団が消滅の危機にさらされているタイミングで、誰についていくかを考えて決断したシーンと取ることもできる。
政治的に見れば、ユダヤ教の分派の分派といった話になるのだろう。主流派によって弾圧され、磔刑で殺され、しかし、その教えは彼の死によって消えてしまうことはなかった。そして、復活のイエスが当時の主流派であるパウロ(サウロ)に現れて改心させ、独立した宗教に進化していったのだと思う。
史実を語るには、私の知識は少なすぎる。しかし、一つの仮説として提示しておきたい。
福音のヒント(3)では、『ヨハネ福音書の中でのイエスの第一声は「何を求めているのか」(38節)というものです』と書かれている。この言及は重い。神の子として覚醒していたイエスを仮定すると「何を求めているのか」に対して答えは自然と「救われることです」となるだろう。一方で人間イエスを本物として確信することは困難だから、せいぜい「仲間になりますので面倒を見て下さい」というあたりが答えとなる。2つの答えは次元が違う。「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」という答え、あるいは問いは、「ご一緒させて下さい」あるいは「仲間になりますので面倒を見て下さい」の湾曲表現だろう。
私は、まだ人間イエスは完全には覚醒していなかったのではないかと思っている。ひょっとすると、十字架の上にいる瞬間もまだ完全には覚醒していなかったかも知れないと疑っている。一度死んで始めて本当の自分を知ったのかも知れない。まあ、そんなことは私にとってはどうしても重要なことではない。ただ、「何を求めているのか」という問いかけにはあらためて向かい合う必要があるだろう。今現在だと「愛を実践できることを求めます」と答えたい。自分の中に愛が足りないことを知っているからだ。
本当に心から求めればきっと与えられるだろう。
注:画像は、ダビンチの最後の晩餐でイエスの左側の色白の人が使徒ヨハネとされている。