新生活115週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」 イエスを待つというアドベントは単に誕生日を祝う準備ではない。この世の、自分の問題として、イエスを待つ。待つだけではなく、自分が悔い改めて変わらなければいけない。それが難しいことであっても、出口があることを信じて待つ思いを確認する時期でもあるのだと思う。 タグ キリスト教 新生活115週目 - 「洗礼者ヨハネ、教えを宣べる」 の続きを見る
新生活114週目 - 「目を覚ましていなさい」 A年が始まった。このシリーズを書き始めたのはA年だったのだが、まだ何も知らなかった。機会を与えてくれた金井美彦氏に感謝する。 タグ キリスト教 新生活114週目 - 「目を覚ましていなさい」 の続きを見る
新生活113週目 - 「十字架につけられる」 「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」と言った囚人は実在したのだろうか。 タグ キリスト教 新生活113週目 - 「十字架につけられる」 の続きを見る
新生活112週目 - 「神殿の崩壊を予告する」 この箇所を終末の予言と取るのは自然なのだが、現実的な問題として終末を論じても実質的な価値はない。私は、この箇所を終末論と言うより、今のこの世の現実を語った箇所と考えた方がしっくり来る。 タグ キリスト教 新生活112週目 - 「神殿の崩壊を予告する」 の続きを見る
砧教会の礼拝にオンサイトで出席した 行って良かった。しかし、まだ先は遠く曲がりくねっていると思う。それでも真実の力は失われることはないだろう。 タグ キリスト教 砧教会の礼拝にオンサイトで出席した の続きを見る
新生活110週目 - 「徴税人ザアカイ」 ザアカイの話はこどもさんびかに出てくる。教会学校ではイエスは神様だからそりゃあ喜ぶだろうなと思う。しかし、実態はそんなにかわいい話ではなかっただろう。 タグ キリスト教 新生活110週目 - 「徴税人ザアカイ」 の続きを見る
信仰と説教のこと 今日も、説教に打ちのめされた。彼は、全く自分が悪いことをしている自覚がなく、その説教がどれだけ私を傷つけているかを考えることができない。悲しいことで、なぜそういうことが起きるのかを知りたいと思う。 タグ キリスト教 信仰と説教のこと の続きを見る
新生活109週目 - 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ 今日のルカ伝18:14までで並行箇所のない10章からの長い部分が終わる。この部分が本当にイエスが言ったことを正確に伝えている箇所なのか今の私は疑っている。だから読む価値がないとは思わないし、他の福音書とは異なるパワーがあると思う。「へりくだる者は高められる。」はこの部分の最後に出てきているのは興味深い。 タグ キリスト教 新生活109週目 - 「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえ の続きを見る