新型コロナに対する油断は禁物

新型コロナが現実的な脅威と感じられるようになってから半年。様々な対策が取られるようになったし、他国と比較するとかなり感染防止に成功している方だと思う。ただ、自分たちのコロナ対策が正しい、今の行動を続けていれば大丈夫と考えるのは危険だ。冷静に考えると、日本の場合、医療関係者とか特別な環境にある人を除くと、ほとんど誰も新型コロナウィルスに暴露していない。つまり、ウィルスがいないから感染していないだけである。ひょっとするとその対策は自分が良く接触する10人の一人に感染者が入れば一発アウトなものかも知れない。行動変容は避けられない。

Tallinn長期滞在を検討中(CWEウイーン、ブラチスラヴァ含む)

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2017年のウイーン国際空港からブラチスラヴァに向かうバス停
今年オリンピックが開催されていれば、その期間は日本を脱出して7月20日から1ヶ月エストニアのタリンに滞在する予定だった。既に国は開いていたので、行くことができなかったわけではないが、欧州の域内移動が解禁されたばかりという理由であきらめた。そのリターンマッチを10月下旬から行うことを検討している。安易な判断はできないが、可能性は十分にあると考えている。7月と違って、欧州内の移動も既に行われていて、恐らく現状からの激変の可能性は低いと読んでいる。もし実行できたとすると、この時期の欧州をこの目で見る貴重な体験ができる。

Gmailのキーボードショートカット

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Gmail設定大
Gmailのキーボードショートカットに挑戦してみたらかなり快適だった。日頃繰り返し使わないと手が覚えてくれないと思うが、覚えてしまうと明らかに時間が節約できる。できれば、キーボードの上の手の動きも最小化したいところだが、あまりカスタマイズすると自分のPC以外の操作に難が出るし、誰かにちょっと触ってもらった時に変な動きをすることになってしまう。ほとんどデフォルトと変わらないが、実は便利という絶妙なバランスを探したい。
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立憲民主党への合流で考える

恐らく、この世の政治に決定版などない。今は世界中でポピュリズムの嵐が吹き荒れているが、衆愚政治を廃して合理的な判断をすれば多くの人が幸せになれると言うほどこの世は単純ではないだろう。ただ一つ言いたいのは、政治の世界にも独占禁止法に相当するルールが必要だと思うことだ。

新型コロナ後の世界を考える

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図表2-1 国際情勢における本質的な変化と目指すべき方向性
7月14日付の「ポストコロナの世界と日本 ─レジリエントで持続可能な社会に向けて」という記事の『三菱総合研究所は、ポストコロナで目指すべきは、「レジリエントで持続可能な社会」の実現と考える』に共感。様々な調査データがグローバル化への嫌悪感や抵抗感を示しているが、そのデータを読んでなおレジリエンスに注目している。記事には書かれていないが、私の解釈では国を超えた独占禁止法の創設を示唆している思う。

Bootstrap 4 - Barrio + Media

Drupalで最近導入されたmediaというものがある。従来からある画像だけではなく、音声、動画も統一的に扱うことができるなかなか野心的なものだ。野心的なだけに、扱いも難しいが、柔軟性は飛躍的に高まった。cssにも触れ得ざるを得ないが、学ぶのは楽しい。
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今日はカテーテルアブレーション5周年記念日。水泳と歩数から、変化を見る

今から5年前に心肥大傾向から判断してカテーテルアブレーション手術を受けた。あれから5年、振り返れば30年ぶりに時代が動いている。国というしばらく続いてきた制度が終わるか、あるいは人類が滅亡するか、私達は、今、その分かれ道に直面していると思う。

COVID-19とどう付き合っていけばよいのか

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New York Rt: COVID Reproduction Rate
新型コロナが絶滅不能な疾病だとするとどこかで概ねRt=1となる。その時、日次感染者数は一定となり、定常状態となる。もちろん、そこからの改善も起きるが、施策の結果Rt>1となれば社会は壊れていく。東京アラートは当面の目標となる定常状態を定義したが、残念ながら数値基準を廃棄してしまった。改めてCOVID-19との付き合い方を考えてみた。