新生活285週目 - 「イエスとサマリアの女」 画像 この個所でイエスは、礼拝は場所には関係ないということと、霊と真理をもって父を礼拝するのが本質的だと言明している。この通りの事実があったかはわからないが、聖職者などの仲介者を介することなく霊によって個として直接神につながることができるという思想が広がっていったことはあったのだと思う タグ キリスト教 新生活285週目 - 「イエスとサマリアの女」 の続きを見る
田川建三訳著 新約聖書 訳と註 第三巻 パウロ書簡 その一 画像 解説で、「この、ただただ率直にできる限り原文を直訳した私の訳文をお読み下さったら、パウロというのは何と思い上がり、威張り腐った、嫌味な人物であることか、とお思いになるだろうか。」はそうかなと思う。さらにその直後に「この人物が人類の宗教思想の歴史に残した足跡は非常に大きいものがるのも、明らかな事実である十六世紀宗教改革だけを見ても、パウロ思想の影響なしには考えられない。」とある点は強く共感する。 タグ 読書記録 キリスト教 田川建三訳著 新約聖書 訳と註 第三巻 パウロ書簡 その一 の続きを見る
新生活284週目 - 「イエスの姿が変わる」 画像 私は、葬られてから昇天までの話は正直言って納得いかないと思っているが、イエスが体をもったまま復活したことを否定しているわけではない。それは「死者の中から復活するとはどういうことか」という問いに取り込まれて迷ってしまうより『「過越」の体験』からくる自分の信仰の原点に戻って、「(今の)苦しみと死から喜びといのちに変えられていく歩み」を歩むことが望ましいと思っているということでもある。 タグ キリスト教 新生活284週目 - 「イエスの姿が変わる」 の続きを見る
新生活283週目 - 「誘惑を受ける」 画像 福音のヒント(4)には「四旬節の時を過ごす心構えは、ある意味で、自分を「荒れ野」に置いてみることだ、と言えるのではないでしょうか。そこからもう一度、神とのつながり、人とのつながりを見つめなおしてみるのです。」とある。この言葉は、私には響く。忙しい時期時や追い詰められている時には自分を「荒れ野」に置いて考えるのは難しい。 タグ キリスト教 新生活283週目 - 「誘惑を受ける」 の続きを見る
新生活282週目 - 「律法について、腹を立ててはならない、姦淫してはならない、離縁してはならない、誓ってはならない」 画像 現実には正しい答えが一つに収束することはない。人によって聞こえる「神秘としての神の知恵」も一致しないことがある。静かに愛の原理に従って判断するしかない タグ キリスト教 新生活282週目 - 「律法について、腹を立ててはならない、姦淫してはならない、離縁してはならない、誓ってはならない」 の続きを見る
田川建三訳著 新約聖書 訳と註 第二巻下 使徒行伝 画像 1巻、2巻上より大胆な記述になっている。筋が通っているようにも思うが、彼の限界のように感じることもある。さっそく、第三巻に進みたいと思わせる書籍であった タグ 読書記録 キリスト教 田川建三訳著 新約聖書 訳と註 第二巻下 使徒行伝 の続きを見る
新生活281週目 - 「地の塩、世の光」 画像 良く知られている箇所で、中学生の頃に強く心に刻まれた箇所だが、50年余を経て再考してみた タグ キリスト教 新生活281週目 - 「地の塩、世の光」 の続きを見る
新生活280週目 - 「山上の説教を始める」 画像 アテンション・エコノミー時代に生きる私たちにとって「身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである」は救いである。真実の声を上げる人を叩く人がいても、神がその人を捨て置くことはない。 タグ キリスト教 新生活280週目 - 「山上の説教を始める」 の続きを見る
新生活279週目 - 「ガリラヤで伝道を始める・四人の漁師を弟子にする・おびただしい病人をいやす」 画像 「網を捨てて従った」は金のために生きることを捨ててという意味だと私は思っている。大事なことを見つけたら、そこを中心に据えて人生を歩むのが良い タグ キリスト教 新生活279週目 - 「ガリラヤで伝道を始める・四人の漁師を弟子にする・おびただしい病人をいやす」 の続きを見る
田川建三訳著 新約聖書 訳と注 2上 ルカ福音書 画像 ルカは、「はじめから、すべてを」書いたが、正確に書くことには失敗したと私も思う。しかし、だから無駄ということではない。下巻の使徒行伝にも期待したい。 タグ 読書記録 キリスト教 田川建三訳著 新約聖書 訳と注 2上 ルカ福音書 の続きを見る