キリスト教

新生活43週目 - 「五千人に食べ物を与える」の前

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https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Rumunia_5806.jpg
本日の箇所は2人組での伝道旅行からの帰還直後のシーンだ。もし一斉に帰ってきて再会したとすると、かなり計画的に定められた期間で何らかの網羅性のある活動だった可能性がある。イエスはこの伝道旅行を成功だったと考えていただろうか。

新生活42週目 - 「十二人を派遣する」

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ナザレの平均気温
福音のヒントには「ずっとイエスのそばにいて、イエスのなさることを見てきた弟子たちが、いよいよ派遣されるのがきょうの場面です」とある。その旅がどういうものだったのか、想像してみた。現代日本にいる人は、このシーンをどう解釈すればよいのだろうか?

新生活41週目 - 「ナザレで受け入れられない」

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Nazareth_the_holy_land_1842
「(イエス自身の出身地であるナザレでは、)ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。そして、人々の不信仰に驚かれた。」とある今日の箇所は短いが印象的な箇所だ。

この前の日曜日に思ったこと

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何かを良くしようと思えば、力あるいは多くの賛同者が必要となる。最初は純粋な気持ちであっても、それぞれの純粋な気持ちに差異があることはやがて分かる。短期的には真実がなくても束ねる力に優れた人が率いる組織が有利になるが、長期的には束ねる力への依存度を下げても持続可能な組織が生き残るだろう。

新生活40週目 - 「ヤイロの娘とイエスの服に触れる女」

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Kursi, Sea of Galilee
福音のヒント(1)で何度も「汚れる」という言葉が出てくるが、現代の概念で言えば、そもそも公衆衛生上の必要から出た規定で合理的だ。しかし、制度化されたことで、差別も生まれてしまう。ありもしない罪を罰してしまうことがあり、排除の論理が牙を剥くこともある。

新生活39週目 - 「突風を静める」

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The decapolis cities - wikipediaから引用
福音のヒントに『「向こう岸に渡ろう」「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」というイエスの言葉を、今のわたしたちに向かって語られる、復活のイエスの力強い励ましの言葉として聞くことができるのではないでしょうか』とあった。果たして、私に「向こう岸に渡ろう」「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」というメッセージが今発せられているのだろうか。

新生活38週目 - 「成長する種」のたとえ~「からし種」のたとえ

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Thomas Francis Dicksee: Christ of the Cornfield "And he said unto them, The Sabbath was made for man, And not man for the Sabbath." Mark, II, 27.
福音のヒント(1)で「ヨアキム・エレミアス(1900-1979)という聖書学者は、イエスのたとえ話は本来すべて「福音の弁明」であると考えました」とあったのが衝撃的だった。もちろん、一つの考え方に過ぎないが示唆に富む。

2020年の6月7日は恐らく私にとっては一生忘れられない日だと思う

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昨年の6月7日は日曜日で、私が当時現住陪餐会員かつ役員を担っていた教会では、総会決議に反して会堂礼拝を再開した日だ。

私は、その事実を糾弾したことで居場所を失った。真実を追うことの難しさを思い知らされている。ついに一年経過したが、結局何も解決できていない。しかし、真実が明らかになるまで静かに待たなければいけないのだろう。とてもつらいことだ。ただ、公式に表明はしていなくても、事実を認める人は少しずつ増えている。私は、必ず真実が明らかになる日が来ると信じている。ただ、事実は分かっていても、その事実に至った原因、経緯はまだ全く分かっていない。