- そのエリアでワーケーションが成立する規模を考える
昨今、いくつもの地方自治体がワーケーションに取り組んでいる。この記事を執筆している段階では、wikipediaでは英語のworkationの項目がないので、世界で通用する言葉ではないと考えて良い。ただ、アメリカにworkationing.comというWebサイトがある。日本語のワーケーションとは違う定義があり、私はそちらの定義の方に共感を覚える。恐らく地域としてWorkationが成立するには平均1,000人の来訪者が必要で、その中から10人程度の移住者が生まれるだろうと思う。 先のことは分からないが、私は、デジタル化とともにユビキタスライフスタイル時代は必ず到来すると考えている。 - いつまでも後送りはできない
一週間遅らせた出発日前8日。現地に滞在中の日本人に聞いても、現地の方に聞いても、基本的に青信号なのだが、データを見ると予断を許さない。もう一週間の延期は避けられないかなあ。
- 約3年前にコワーキングスペース等の定義をしていた記事を見直したサードワークプレースの種類という記事を約3年前に会社のサイトで書いていた。ちょっと恐ろしいことなのだが、修正点が見当たらなかったのである。そろそろ、ワーケーションに関して定義案を書く時期が来ているような気がしている。
- 「はたらくおじさん」が幸せになれる社会を望む私がソフトウェア業界に新卒で就職した頃には、金融系のプロジェクトで大立者になろうと思っていた。金が集まるところの近くにいないと損だと思っていたのである。しかし、私は必ず私の生きている間に時代は動くと思っている。それほど、時間はかからないだろうと信じている。
- 新生活4週目 - 皇帝への税金
「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか」という問いに対して「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」という答えが返されたという有名な話。すべての人に「あなたは何が本当に神のもので、何を神に返すべきものだと思っているか」という問いが与えられていて、同時にその問を無視する自由が与えられているのだと思う。「あなたは何があなた自身が目指すべき姿だと思っているか」と言い換えれば、その問は、誰の頭にも時折訪れる問いだ。たまには、無視し続けずに向かい合ったほうが良いだろうと思う。 - Googleアカウントとサービス
あるG Suite(今ならGoogle Workspace)を解約した後、管理者兼契約者のGoogleアカウントが残っている。もちろん、メールもカレンダーもドライブもサービスが解除されるので何もできないのだが気持ち悪い。G Suiteのアカウントは組織管理だから、自分では自由にいじることはできない。組織側はきちんと削除してあげないとずっと残ってしまうことになる。中々悩ましい。
- デジタルトランスフォーメーション
情報処理学会の会誌「情報処理」の2020年11月に特集DX(デジタルトランスフォーメーション)という特集記事を読んだ。違和感を感じた。もう30年以上前のBTRONの実身/仮身モデルを思いだした。私は、既存のプロセス改善型の情報システムの延長線上にDXはないと思っている。 - COVID-19第三波? 油断は禁物
ヨーロッパは第二波が深刻、WHOのデータを読む限り、アメリカでは第三波がきている。この山が第二波を越えるのかどうかは分からない。科学力なら今でもアメリカは最高レベルだから、科学力だけでは感染を抑えられないことが実証されたとも言える。アメリカ大統領選挙の行方から目を離すことはできないが、もっと大きな構造変化が起きつつあり、それに対する拒否反応が現在の不安定さを招いていると私は考えている。時計の針を戻すような考え方ではなく、このパラダイムシフトに前向きに取り組む人が半数を超える日が早く来て欲しいと願っている。 - 政府への信頼が崩れた時に頼りになるのはセキュアな通信路だと思う
メッセンジャーアプリのメッセージを公権力が解読できるようにするべきだという力が強まっているように見える。しかし、私は政府はあまり信頼してはいけない存在だと思っている。良し悪しではなく構造的に信頼すべきではない(権力を独占させてはいけない)と考えている。法執行機関が信頼できなくなったら、相当深刻である。まさか、日本でそんなことは起きないと高をくくっている人がほとんどだろうが、歴史は案外壊れる時はあっという間であることを示している。政府との信頼が崩れた時に重要となるインフラの一つは、プライバシーが確保できる通信経路だと思う。それを脅かす動きを支持しない。 - 新生活3週目 - 婚宴のたとえに学ぶ古い家を出て新しい旅に出るといって3週目。福音のヒントを参照して過ごしている。年間第28主日 (2020/10/11)はマタイによる福音書22章1-14節。今回は、4つの福音のヒントの中で、これに注目したいというものが見当たらなかったので、どれかにこだわるのではなく、福音書間の比較から学ぶ姿勢を踏襲した。私はルカによる福音書の並行記事の「貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人を招いてもまだ席があります」という書きぶりが好きだ。ルカの解釈では神はまず虐げられた人を大事にする。そして、虐げられた人を選んで救った後にまだ強者を招く余地があると主張していると取れる。そういう社会システムが構築できたら望ましいと思った。