IPAが「OSSは公共財となりうるか?」というプレゼンテーションを公開した

OSSは公共財となりうるか?IPAオープンソース推進レポートに見る日本のオープンソース戦略の現在と未来という資料がIPAからの資料公開ライブラリで公開されている。FOSS4G 2025 KANSAI コアデイで発表されたものだ。

Linuxのような、商品にバンドルされるようなソフトウェアだと、問題点が見つかったらユーザーはベンダー、メーカーに問題解決を依頼する。その問題解決や機能拡張がContributionとなるが、力のある企業が支配的になるリスクは確かにある。

私の考えでは、OSSは公共財となりうるか?という問いに対しての答えはYESである。一方、コモンズの維持にコストがかかるようにOSSの維持にもコストがかかる。セキュリティホールは頻繁に見つかるし、隣接する他システムの影響も受ける。OSSはただではないのだ。

公共財の代表例は公園だろう。公園も維持コストはかかる。

「公園の維持」で検索すると私の環境では、国交省の「公園施設長寿命化計画策定指針(案)(改訂版)について」が一番に出てくるが、イベント紹介ページの「都市公園管理の課題と効率化のポイント!取り組み事例も紹介」が結構わかりやすい。その中で「都市公園を管理する多くの自治体では、人口減少や高齢化、地域経済の縮小により、税収が悪化して財政難に陥っています。そのため、公園管理に十分な予算を割くことができない自治体も多いです。」と書かれている。現実と言える。その後、中野区や港区などの行政のページがヒットするが、例えばその中で問題点として「特にトイレは洋式化されていないトイレが42箇所もあり」などと書かれている。公園の維持には時代適応も含まれる。作ってしまえばOKということにはならない。

公園の中のステージなどの設備を使って事業を行うケースもある。公園維持のための資金集めにもなるが、それを形にする民間事業者の儲けにもなる。民間事業者に儲けちゃいかんと言ったら公園維持が厳しくなるし、民間事業者が儲けすぎていると思われればただ乗りの不良法人という話になる。直近だと神宮外苑の再開発などは問題となる。公共財の魅力が高くなるとただ乗りの誘惑は深刻になる。OSSではWordPressで問題になっている。OSSの場合は、ガバナンスをどう保つかが重要である。OSSの隣接領域にある民間ソフトウェアプロダクツ/サービス事業者は、OSSの価値を過小評価させるようなプロパガンダをやったり、持てる金を使ってOSSを目立たない形で支配してしまうケースもある。OSSに関わるソリューションプロバイダは、互いに競合関係にあるのである程度適用範囲が大きくなって商売が成立するようになると簡単に力をあわせてOSSを育てようという話にはならない。規模が大きくなれば、OSSプロジェクトの維持コストも大きくなり、ちょっとしたプロダクツ/サービス事業者より大きくなることも稀ではない。ちなみに、Drupal Associationの総収入は約5.5億円ある。

Drupalはオバマ時代にはThe White Houseのページで用いられ、Petitionページなど、公共財的な機能を存分に果たした。トランプ時代に市民参加機能はほとんど削除され、WordPressが利用されるようになった。税金が大量に投入されている時期、ホワイトハウスが使っている技術なら安定性が期待できるというブランドが機能していた時期と、そうでない時期は風向きが変わる。現在は、EU政府がDrupalを積極活用して、機能拡張モジュールへの資金的な援助もあって、決して死に体ではないが、NPOであるDrupal Associationの最新の決算情報(2023)では収入は若干増加しているが、収支は500万弱の赤字となっている。BS規模の1%強だから問題はないが、手を打たなくて良い状況ではない。Drupal Associationは米国NPOなので、他国からするとそこに関わっていくことには限界がある。国際NPOへの移行が必要だとする動きもある。

当然、AI技術の影響を受ける。OSSだろうが、公園のような公共財も影響を受ける。しかも、動いている金が巨額で、AIの技術開発で動いている金は、かなり大きな国の国家予算を超える額だから、あらゆるものが影響を受ける。

公共財の維持モデルも今後大きな影響を受けるだろう。ホワイトカラーワークの付加価値の人件費比率は確実に下がるから、柔なプログラマの付加価値は相対的に落ち、AIを使う金が出せる組織に属するプログラマが対した差もない中で大きな収入を得るような時代が来る。公共財の維持に関わる人は相当厳しい状況に追い込まれることになるだろう。行政の人も恐らく同じだし、大学等で働く人にも逆風が吹く。

公共財が荒廃した後には何が残るかを想像すると、ごく限られた人が金にあかせて立派な施設や機能を独占する時代の到来である。

OSSは起業のハードルを下げ、一攫千金の夢も見せたが、大きな金の力の前にはひとたまりもない。現行制度の改善では足りないのかもしれないが、公共財の意義を主権者が意識できなければかなり深刻な事態を迎えることになるだろう。そんな予想を書くのは楽しくはないが、自分がやれることをやっていくしかない。OSSを維持する組織に多くの人が集まるようにすることで、流れを変える一助になるだろう。

別の観点では、個人の社会的責任をどう捉えるかというテーマが重要になると思う。むしりあいで良いと考える人もいるだろうし、独裁者依存と勝馬に乗ればよいと考える人もいるだろう。どちらも持続性がないことは明らかだが、平和や繁栄から凋落に向かえばその勢いが止まらないのも歴史の現実だろう。敵を作ることで、権力を得ようとする人は繰り返し現れる。彼らは公共財は幻想だと嘯くが、ちょっと考えればそれは地獄へとまっしぐらの道だ。教育が機能するかもしれないが、時間がかかる。

それぞれが、やれることをやり続けるしか無い。

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