WAYS OF BEING 人間以外の知性

WAYS OF BEING 人間以外の知性 読了。もともとは佐谷氏の昨年2月のnote「生成AIと脳と、人間以外の知性」を見て図書館で予約したのだが、非常に待ちが長くてようやく2026年4月5日になって借り出せた。ちゃんと事前調査をしなかったのが悪いのだが、もろ哲学書と言って良い。しかも平易でわかりやすく、すごく面白かった。

佐谷氏は、「直感や想像力、配慮は人間ならではのものである。そんな「思い込み」が、完全に覆された。」と書いている。まだ「生成AIと脳」は読んでいないが、WAYS OF BEINGは衝撃的だった。もちろん、AIについても(人間以外の知性として)触れているのだが、むしろ、AI以外の知性についての洞察が凄まじい。知性こそが人間を意義付けるという思い込みが完全に覆された。

序章で、レイチェル・カーソンが出てきて、生態学的思考に触れたところから、これはAIに関する本ではないと遅ればせながら気がついた。読み進んでいる内に人間の知性は環境適応反応に過ぎないという彼の考え方が染み込んでくる。

第一章には自動運転の話が出てきて、著者が実際に自分の運転を学習させて自動運転車の可能性を探った話が出てくる。センサー画像を既存プログラムでニューラルネットで学習させ、どうやって学習していくかを身を持って体験した様が想像できる。商用自動運転車と張り合う気は最初からなく、運転という行為も環境適応反応であるという前提で、機械学習過程を楽しんでいる。私は自動運転に対しては、どちらかと言えば非常に精度の高い衛星画像に基づく正確な地図で経路検索で道行を決定し、予想外の事象に対処するアルゴリズムを組んでいくというイメージを持っている。でも、実際の道路には工事もあれば事故もあるので、予想通りにいけないことは多い。丁寧に例外対応を加えていけば、やがて完全な自動運転が実現できるという期待だ。昔のAIで言えば、巨大なIF THEN ELSEモデルで問題を解こうというアプローチになる。実用的には、計算量の問題を何とかできればニューラルネット型学習、推論にかなわない。じゃあ白旗を上げるかと言えば、そんなことはなく、きちんと組めれば、決定論的なアルゴリズムのほうが信頼できる。西洋的な分業は、企画者がモデルを作って、ワーカーがそれを実施する。バグのないシステムはないので、様々な問題は起きるが、ある程度ならワーカーがそれを解決するので機能する。ソフトウェアシステムで実現する場合は、現場のワークアラウンドを強いることになる。経済的に見合う範囲でバグが残っても問題にならない。プログラマはできれば完全なシステムを作ろうと微に入り細を穿つ。一方、経営側は、稼ぎになる部分が機能していれば、後は何か起きた時に対処すれば良いと考えたほうが、ビジネススピードは上がり、短期的な利益は増大する。早く市場に商品・サービスを提供しないと、遅くてよくできたシステムは粗削りの短期リリースシステムに負ける。市場を占有されてしまえば、企業は倒産する。ITバブル以降、うまい経営者は巨額の投資を集められるようになり、物量の投入で製品・サービスを出していく。他にできないものを作って独占すれば、(短期的)利益を生む。著者も触れているが、AI投資で地球環境を破壊してしまえば長期的には全滅に進むことになる。レイチェル・カーソンの予言の現時代版である。幸い、化学物質による環境破壊にはあるていど規制も奏功して沈黙の春はまだ来てはいない。人類としての環境適応反応がある程度機能しているということだが、AIのエネルギー爆食いに本当に対処できるのかはわからない。自分専用の自動運転車は安くも高くもある。量産された自動運転車は原価は安くなるが、足し合わせれば環境負荷は大きい。

私が本書を哲学書に位置づけるのは、そういう視点、原点に複雑さはともかく、知性と人間が考えるものも環境適応反応でしか無いという達観が新鮮で説得力に満ちていたからだ。

第二章 ウッド・ワイド・ウェブ では、別の形の植物の知性が解き明かされていくし、第三章 生命の茂み では種の特定の限界に触れている。親子の間での遺伝子の継承とダーウィン的な進化論は十分に機能しないことがわかる。中でも親子間の遺伝子継承以外に、ウィルス感染等で他人の遺伝子がウィルスを経由して他の人に組み込まれてしまうことがあることが間違いないことに気が付かされる。O157は何らかの方法で赤痢菌の遺伝子の一部を組み込んで強毒化したとされているが、人間も様々な遺伝子に触れることで配列が組み変わっていく。ちょっと気持ち悪いが、そのメカニズムがある程度分かってきているので既に遺伝子組み換えは応用されている。「コシヒカリは、「農林1号」と「陸羽132号」の交配から生まれた非常に優れた遺伝的背景を持つ水稲品種です」とあるように、昔は長い時間をかけて交配で好ましい種を見つけて増やしていく方法が主流だった。今では、遺伝子組み換えも使われている(遺伝子組換えについて)。実は意図しない遺伝子組み換えが感染症によってもたらされていることも分かってきている。つまり、生まれた時の遺伝子配列と死ぬ時の遺伝子配列は同じではない。もっと進めると、人類と分類する対象が相当多様で、同じ人であっても一度はしかにかかれば、遺伝子配列が変わる。抗体を作る能力を獲得するということは、もはやその人は遺伝子的には以前のその人ではない。劇的なものに限らず、目に見えないところで沢山の「突然変異」は起きている。たまにその変化が人を殺すが、大抵は日常生活に全く影響しない。大げさに言えば、人に接するだけでも、ペットに接するだけでも、人間は変わってしまうのだ。どこまで変化したら人間と言えなくなってしまうのか決めるのは難しい。もちろん、男女の特定や人種の特定も離散的なものではない。もちろん、生物と非生物の境界も容易に特定できない。そうして考えると、種という概念そのものが、近似的説明モデルに過ぎないことがわかる。まあ、日常的に強く意識する必要はないが、AIが模倣する知性とは何かを考える時には似ていても同じものは2つと無いという現実に向かい合うことの重要性に気が付かされる。

第四章 惑星のように見る では、植物の移動の事実にも得心する。人類とは時間軸が違うが、化学物質を介在した個体間コミュニケーションの存在は科学的に証明されているようだ。さらに第五章 見知らぬ人に話しかける では、鳥と人間の利害関係(蜂、はちみつ)に根ざしたコミュニケーションが成立しているケースが有ることも知る。さらに第六章 ノンバイナリーな機械 では、チューリングが(決定問題を解く)チューリングマシン(a機械)とは別に神託機械(c機械)も考案していたことに触れ、加えて第七章 無作為 ではモンテカルロ法など、決定問題指向のコンピュータでは計算量が爆発する問題をランダムサーチで近似解を求める話に触れている。量子コンピュータの出番でもあるだろう。

第八章 連帯、第九章 動物のインターネットも興味深い。環境適応反応による相互作用は(長期視点では)思いの外強力であることが示され、結論 金属の農場で を読むと、人間も中々捨てたものではないと思わされる。人間にとっての環境への環境適応反応は個によって異なり、ネットワークが機能するとそれが長期で花開くことを期待させる。

現実を見据えつつ、この世の中が生態系的にどうできているかを調べ、興味深い環境適応反応がたくさん起きていることが示されていて心強い。もちろん、個々の成功確率は高くないが、多様性が失われなければやがて道は拓けると確信させられた。

解説の表題が「デジタル時代のネイチャーライティング」とあるのも好印象だ。科学的実証に重きを置くことが「デジタル時代」の流儀だが、自然をありのままに理解しようとして記述すると、決定論的なアプローチの限界に気づく。量子力学の光の波性、粒子性に言及しているところもある。デジタルがどんどんミクロにハマっていってやがて決定論で説明できなくなるのに対して、ネイチャーは大きな系として存在していることを表明している本だと私は捉えている。

自分は何か、人類とは何か、というようなモノ的な決定論的な視点を否定することなく、それを超えて、多様な関係性の中で生きているというコトにも目を向けなさいというメッセージと受け取った。

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