デジタル・ガバメントとデジタル・トランスフォーメーション

日経新聞で『デジタル改革、官民一丸』という記事が出ていた。本日はデジタル庁の誕生日だ。この変化は10年後に良い影響を与えることができたら良いと思う。

行政府としてデジタル庁が機能することを期待したいが、立法府が適切な働きができていなければできることは限られてしまう。デジタル庁から適切な政府立法が進められることにも期待したいが、デジタル時代に行政だけでなく社会全体がどう変わって活力が得られるようになるかというビジョンがなければ前向きな変化はおきないだろう。

中心となるマイナンバー制度の制度設計の失敗が足かせになっている。私は「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」(番号利用法)のアプローチが初手から間違っているのだと思っている。個人情報は、個人に属するもので行政はサービスを提供するために預かっている(預かる権利を付与されている)という思想が足りない。法制化の方向が逆で、「行政手続きに必要な個人情報の特定と守秘義務を規定する法律」といった法整備が望ましいと思う。

具体的には「現在は住民の氏名、住所、生年月日、性別の「基本4情報」すら各自治体でデータ形式が異なる。」の基本4情報という考え方から、まず住所を分離して欲しい。もっと言えば、生年月日も性別も分離しても良いだろう。慣習として個人を特定するために氏名が用いられているが、個人を特定するための手法に過ぎない。

マイナンバーの本質は、一人の個人を間違いなく特定するための番号(コード)だ。ただ、人間は番号(コード)と個人を結びつけて記憶する能力は低いから、氏名を使う。氏名だけでも憶えきれないから、何々会社の誰それとか、誰々ちゃんのお母さんとか、補足情報を修飾子として使う。しかし、デジタル・ガバメントはデジタル情報管理だから、コードがあれば氏名も必要としない。指紋認識や顔認識あるいはゲノム配列などの生体情報で個人(コード)を特定するほうが、人間の記憶に頼るより遥かに正確になる。

IDカードは、人間がマイナンバー(コード)と本人を結びつけるツールだから、氏名と顔写真があれば十分だろう。マイナンバーとは異なるマイナンバーにたどり着けるコードが刷られていれば人間がそのコードを利用して対象となる人の情報にアクセスする手段を提供できるようにすれば良い。個人情報が十分に守られるなら、マイナンバーそのものをコードとして用いても構わない。
住所は明らかに安全に関わる機微な情報なので、そんなものがIDカードに刷られていればそれ自身が安全、安心な社会を崩すから、政府がそんなものを国民必携にするなど笑止千万である。スマホの普及率を考えれば、顔写真すら印刷は不要だ。

一方で、デジタル・ガバメントの実現に電子署名インフラは不可欠だ。必ずしもICカードを利用する必要はないが、署名用の秘密鍵が守られないとインフラとして機能しないので、当面はICチップに頼るのが現実的だろう。今は、パスポートにもICチップは入っていて、電子的に偽造チェックが可能になっている。

個人の住所は、アクセス権がある主体がマイナンバーを利用してクラウドから取得できるようになっていればそれで十分。例えば、市民サービスであれば、マイナンバーからその人の住民票が登録されているかをYes/Noで聞けるクラウドサービスがあれば住所が開示される必要はない。

デジタル・ガバメントは行政の話だが、デジタル・トランスフォーメーションは社会変革だ。マイナンバーカードはeIDでデジタル社会のインフラ中のインフラである。鉄道ネットワーク、電力ネットワーク、高速道路整備あるいはデジタル通信ネットワークが経済活動を活性するために機能したように、信頼できるPKIの確立がデジタル社会の経済活動を活性化できなければ意味がない。行政視点で考えているようでは困る。民あるいは民間組織のためになるものでなければ話にならない。だから、私は民の権利を強化するものでなければ意味がないと思っている。マイナンバーが名刺代わりに使えないようなインフラは論外だ。

マイナンバーの本質を考えるとどうなるだろうか。マイナンバーカードはデジタル時代の身分証明書だろうか。

学生証を身分証明書の一つとして考えてみよう。学生証は学校のサービスを受ける権利を保証するもので、顔写真があるか無いかなどは検証精度をサービサーが決めている。例えば金融機関が口座を開設する時に大学の学生証で信用するか否かは法的な規制がなければその金融機関が自分の責任で判断することになる。身分証明書は本人の権利を強化する信用供与を証明するものだ。

恐らく現在身分証明書として適用範囲が広いのはパスポートだ。発行主体による強弱はあるが世界中で一定の権利が保証される。住所は証明しないが、本人追跡が必要になったら発行国がなんとかしてくれるという信頼の上に成り立っている。マイナンバーカードだって、学生証だって住所など本来必要としない。

例えばエストニアのIDは、原則出生とともに医師が登録するので、生体の実存を証明するものだ。eIDカードには氏名とID番号(生年月日が含まれる)はあるが、住所の記載はない。ID番号は秘匿対象でもない。言い換えると、エストニアという国家がその生体の実存を公的に認めているという証明でしかない。IDホルダーに権利を付与するかどうかはサービサーが決めることと割り切っていて、エストニアでは国籍を有しないe-residentに対してIDを発行し起業権を付与している。日本のパスポートがあれば、特に問題がない限りエストニアのIDは取得可能である。本人追跡が可能と考え居住権と無関係に起業権を与えるのは国家の自由と考えている。私はe-residentなので、日本よりやりやすいと思えば、日本政府から禁止されなければ事業をエストニアに移す。もちろん、権利には義務が伴うが、それは別の問題だ。また、エストニアのeIDは公開された電子署名インフラだから、そのIDを用いて売買契約も可能だし、個人も法人もIDを利用して情報管理するのは個人情報保護法の範囲内で自由である。

マイナンバーカードを持っていれば、電子証明書を利用して納税がリモートで可能になるとか利便性は向上するが、社業には何の役にも立たない。そんなIDに未来はないと思う。やがて健康保険証替わりに利用できるようになりますといわれてもその程度じゃ全然満足できない。だいたい、自分の購入履歴や諸契約がマイナンバーに紐付いていないとしたら、トレーサビリティーは低い。必ずマイナンバーに紐付いて管理され、勝手に流用できないような法制が整備されていて、私の意思で自分に紐付いた情報を求めることができ、利用禁止(消去)も求められればずっと具合が良い。相手が行政でも変わらないが、行政サービスを提供するために必要であればその中に利用禁止が求められないような情報があったとしても当然のことだと思う。だから「行政手続きに必要な個人情報の特定と守秘義務を規定する法律」のような法律は必要になるだろう。個人が利用禁止を求められないような情報の範囲は最小化されなければいけないし、逆に公共の福祉のためには民が収集されたくない情報でも収集するべきものはある。

もしマイナンバーカードが身分証明書であるなら、それは私の権利をどんどん拡大するものであって欲しい。マイナンバーが政府への隷属を証明するものであれば、できるだけ関わり合いになりたくない。

サーチナに『中国人が「いい加減だなぁ」と思う日本の「ある制度」とは=中国』という記事が出ていたが、私は身分証明書が義務付けられていない方が自由が大きい好ましい社会だと思う。しかし、エストニアはeIDの取得を義務付けている。自覚している行政側の人が多かったわけではないようだが、社会インフラとしてeIDを整備するには必須化が合理的なのだ。縛る身分証明書はごめんだが、役に立つものなら歓迎だ。全体最適のために何かを我慢しなければいけないのは公衆衛生上のマスク必須化と変わらない。個人の権利を拡大することが明確になっていれば、身分証明書は好ましいものになり、行政の効率化を意図した身分証明書は鎖と変わらない。「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」(番号利用法)は個人番号そのものを秘匿情報の扱いにしていて、それを扱える主体を国が決める形になっているから、鎖である。縛るべきものは個人番号に紐付けて管理する情報であって、個人番号ではない。個人番号の利用を縛ってしまえば産業振興の役には立たない。利用している技術はエストニアのeIDもマイナンバーカードも同じだが、制度は全く違う。デジタル・ガバメントを確立するには、まずマイナンバー法制を根底から見直さなければ推進すればするほど国の競争力を落とすことになるだろう。マイナンバーカードからせめて住所を除くことができなければ、日本のデジタル・ガバメントに明日はない。

デジタル・トランスフォーメーションに資するデジタル・ガバメントの変革を期待したい。不安だらけ、不満もたくさんあるが、デジタル庁のスタートを歓迎する。

※画像は私のエストニアのIDカード