日本テレワーク協会のサードワークプレース研究部会の発表収録に立ち会った

サードワークプレース研究部会の副部会長をつとめるようになって数年が経過した。昨年は「COVID-19とサードワークプレース」というサブタイトルで研究活動を行った。先程、その年次報告のビデオ撮りが終わったところである。私は黒子なのでビデオに出るわけではないが、部会長の齋藤さんはいつも通りすばらしいプレゼンテーションだったので満足している。いつもながらの普段着姿も彼らしくて良い。

この研究部会が始まった頃は、企業でのコワーキングスペースの認知は低かったし、ABWも知られていなかったが、2020年のパンデミックで大きく状況が動いた。実際に行われたことは強制的な在宅勤務で、テレワーク適合性の高い企業、低い企業もあるものの、否応なくテレワークで業務を遂行することが求められた。その過程で、様々な笑えない笑い話もあった。例えば、在宅勤務で就業時間を守るため、PCの前に着席したらずっと席を立つ気持ちにならず座りっぱなしで腰痛になったという話もある。Web会議につなぎっぱなしにするのがストレスになったケースもある。とは言え、約一年が経過し、多くのワーカーは自己管理の重要性、場所に拘束されない自由とそれに伴う責任を自覚するようになり、新しい生活習慣を身に着けてきた。業務アクティビティに依存するものの時間の拘束が本質的でないことも実体験した。もちろん、わかりやすい目標が与えられてそれをこなしていく局面もあるが、環境は日々変わる。昨日と同じ今日を過ごしているように見えても進化し続けることが必要になる。従来は朝オフィスに出社して退勤するまでオフィスにいれば仕事をした気持ちになれたが、テレワーク時代になると自分が行った仕事に対して説明責任が伴うようになる。改めて自分の存在価値が問われることになるのだ。

一方、人に会わないことでメンタルな影響は深刻だ。私は、今は組織の一部に属する働き方ではないので、コロナ前はコワーキングスペースやカウンターで客同士が何気なく会話をするような飲み屋が自分の居場所だった。もう慣れたが、やはり懐かしい。Web飲み会はその代替にはならない。会社勤めの人はランチタイムに連れ立っていく場所と機会を失い、ストレスがたまった。ある程度人が戻ったオフィス街を歩くと、ランチタイムには連れ立って歩く人々を目にするようになった。別にそれ自身が社業に役立つような会話などしているわけではないが、その接点がリラックス効果を生み、活力のもととなるのだ。晩に飲みに行ってもそれ自身は直接的には何も生まない。しかし、それが元気のもとになる。

仕事を遂行していく上では、一見意味がないように思えることが意外と影響を与えていることをパンデミックは気がつかせてくれたとも言える。

NHKの「東京都コロナ感染者24日は420人 家庭内感染が122人に【詳細情報】」によれば、感染第4波では会食より職場内感染の方が多い。家庭内感染が約3割と圧倒的だが、職場も準家庭なのだ。会食はある意味で非日常なのだが職場で場所を共にするのは日常である。さらに加えれば行きつけの居酒屋もコワーキングスペースもその人の日常だ。非日常は我慢することが容易だが、日常の変容は難しい。

ただ、従来のオフィスの日常は、人工的に作られた日常であって想像上のコミュニティでしかない。ICTの進化により、場所の拘束力が低下したことで、その幻想、呪縛は解かれつつある。技術進化で手に入れた自由をどう使いこなすかは、その時代にたまたま生きている世代に課される課題となる。懐古主義に立っても時計の針を巻き戻すことはできない。

2021年のキーワードは「ニューノーマル」だ。一年前「新しい生活様式」というコンセプトが発表されたのを覚えているだろう。緊急避難的な対応でもあったのだが、COVID-19だけでなく多くの感染症の被害が軽減された。慎重な生活様式を実践すれば風邪にかかることも減ったし、インフルエンザも流行しなかった。ワクチン接種の拡大によって、既に約374万人の命を奪ったCOVID-19の驚異も軽減されるだろう。しかし、感染症の原因はSARS-CoV-2だけではない。今後繰り返し感染症との戦いは続く可能性が非常に高い。つまり、ヒステリックな対応は不要でも「新しい生活様式」への挑戦は終わらない。

私は「ニューノーマル」はライフスタイル(生活様式)の進化モデルと考えている。再び移動の自由が保証されるようになり、それに伴う責任として守るべき生活様式がハードルとなる。一時的にはワクチン接種もその要件の一つになるだろうが、本質的にはむしろそいうハードルという捉え方よりは改善プロセスと捉えたほうが良いだろう。多大な犠牲は払ったが、改善プロセスは回り始めた。私達は新しく輝かしい未来の入り口に立っている。前を向いて進みたい。