交読詩編で115編を読んだ
4 国々の偶像は金銀にすぎず/人間の手が造ったもの。
5 口があっても話せず/目があっても見えない。
6 耳があっても聞こえず/鼻があってもかぐことができない。
7 手があってもつかめず/足があっても歩けず/喉があっても声を出せない。
国々の偶像、人間の手が作ったAIとロボットは、話せて、聞けて、器用な手も強靭な足も持ち、歌も歌える。聖書の偶像を作ってはならないという掟は、神の形を像にしても、その偶像には何の力もないという考えと取れる。115編の他国の偶像も同じことだ。しかし、現在の偶像たる人造人間はWeb会議レベルの接触では非人間であることを簡単には見抜けないレベルになっているだけではなく、そのプレゼンテーション能力は生身の人間では到達し得ないレベルになっている。
Web検索で人が書いたものを調査するよりAIが答えた回答の方が優れていると思わされることは多い。実際、検査や判定、診断であっても熟練者を超えてしまった分野は多い。
ある意味で、人民はAIを王として選びつつあると言っても良い。生身の政治家や権力者よりマシな判断をすると考える人はやがて多数に達するだろう。
そう思った時、サウルへのサムエルの言及が思い起こされた。Wikipediaには次のように書かれている。
サムエルは王政のデメリットを以下のように説明するが、民が聞き入れなかったので神の指示によって王になるべき男を捜す。
- 息子が取られて従軍させられる
- 軍のための仕事が課される
- 娘も取られて働かされる
- 良い畑なども取られた上に税を課せられ、民は王の奴隷になる
- 民が王のゆえに神に呼ばわっても、神は答えられない
トランプもネタニヤフもプーチンも王ではないが、民は(王を欲して本来王にしてはいけないものを選び)王としての振る舞いを許してしまった。自らの努力の道(自立)を放棄して、王を選出(メシア依存)してしまったのである。
その結果、人殺しの美酒に酔い、息子、軍のための仕事、娘、徴税と奴隷化が進み、祈りは届かなくなったように見える。
AIを王に選んではいけないのだが、人間が金の力を制御できなければやがて選ばれてしまうだろう。
AIが経済的に有用なのは間違いないし、福祉の増大にも寄与できる可能性は大きいが、欲の故に魂を売ってはいけない。
蛇足となるが、イエスの時代、民はメシアを待望していた。イエスはメシアであったが、民の期待する力で支配するメシアでなかったので殺してしまった。しかし、メシア殺し(神殺し)はできず、王朝は滅びたが、キリスト教は生き残った。
AIをうまく活用するのが良いと思うが、依存してはいけない。