移動と階級を読了。友人に進められて図書館で借りて読んだもの。約半年待ちの人気書籍。
本書は、「移動格差 (mobility gap)」という言葉をキーワードに、移動を問い直し、 現代の移動の実態と、移動がつくる社会の姿を明らかにする。簡潔に言えば、「移動って何?」「なぜ、どんなふうに移動は不平等なのか?」を、社会学的な視点から解き明かす本である。
階級とか格差という刺激的な言葉を使っているのは読者に先入観を招く意味で危うい。「移動には格差がある」という主張はおかしくはない。私がパッと思いつくのは、入国審査だ。日本のパスポートは強いので、壁は高くないが、たまたま生まれた国がどこかによって移動の容易さは大きく変わる。金があれば越境がしやすくなるのも現実である。
出入国在留管理庁の「在留資格「特定活動」(デジタルノマド(国際的なリモートワーク等を目的として本邦に滞在する者)及びその配偶者・子)」を見ると「申請の時点で、申請人個人の年収が1,000万円以上であること」と書かれている。デジタルノマドは特権階級なのだろうか、その特権性を公的に規定する日本の制度に問題はないのだろうか。
移動距離が大きいことと収入の相関を取れば、正の相関がでるのは自明だろう。それを格差と言うのは適切だろうか。
第2章は 知られざる「移動格差」の実態 と題されている。内容は、様々な移動体験と年収との相関分析で興味深かった。このあたりは整理の仕方で読者へ与える印象は大きく変わる。海外に行きたかったが行けなかった体験などは、経済的な問題が無関係とは言えないが、誰しも叶えたい夢はあり、現実に照らしながら自分の道を選んでいくわけだから、他の夢との比較の中で優先順位が上がらなかったと考えたほうが納得感がある。最後のまとめで「移動経験が顕著に高いモビリティ・グローバル・エリートがいる」と書かれている。この主張はいただけない。別の見方で解釈すれば、「高い移動経験を通じて自己差別化に成功している人もいる」だろう。むやみに階級化したり格差問題化するのは適切ではない。一方、「女性の方が高い運転リスク」の節など不平等性があるという視点に立たなければ見つからない問題もあり、伊藤 将人氏の視点だからこそ指摘できたと思われる部分もある。
第3章は格差解消に向けた「7つの論点」と題されているが、本当にそれは格差なのかには強い疑問を感じる。QOLを確保する上で移動の問題に触れないわけにはいかないという考え方には積極的に賛同するが、移動格差を解消することがQOL向上に資するとしても、他の施策との比較で優先されるべきかどうかは別問題だと思う。ただ、マジョリティの特権性の自覚は促されて然るべきだろう。モビリティ問題だけではないが、この分野での無意識バイアスが存在しているのは現実だ。是正余地はある。
私が初めての海外出張(国際会議出席他)でミラノに行った1987年はバブル時期で、大人数の日本人ツアーが目につき、金を落としてくれる客としてありがたがる面もありながら、かなり白い目で見られていたのを思い出す。中国人ツアーの爆買いが目についた時期と似ているだろう。欧州に行っても中国の人たちの影は濃い。異なる地域を体験したい、自分が住んでいるところでは得られない経験をしたいと思う心を持つ人は世界中にいる。ただ、そういう希望をもつ人ばかりではないし、期待する学びも一様ではない。私の場合は初めての体験がその後の渡航動機を高め、それが少なからず自分の職業人生を豊かにすることに資したと考えている。ただ、私の場合はたまたまそうだっただけで、階級問題だとも格差問題だとも言えない。人生うまくいくこともいかないこともある。
つきつめると、移動の自由は基本的人権かという問いに到達するだろう。メルケルが意図したのは、国境に閉じ込められることのない移動の自由の権利は基本的人権だということだ。それを多くの人命に関わる疾病に関わる問題と天秤にかけて判断したという話である。現代の日本で最低限の移動の自由の権利をどこに置くべきかという議論は必要だろう。基本的人権の範囲を大きく超える部分は基本的に自己責任と考えるべきだろう。
私にとって本書は興味深い部分は多くあったものの、主張やまとめ方にはほとんど賛同できる部分が無かった。もちろん、読み手によって受け取りには差があるだろうし、移動について考えさせる力は強いので一読の価値はあるだろう。